ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

続・Kis-My-Ft2横尾渉に転がり落ちた重岡担の記録

2ヶ月ちょっと前に横尾さんに転がり落ちた経緯をまとめたブログをここで書いた時、掛け持ちという概念がいまいちしっくり来ず、横尾担になりますとは言えなかった。つい先日の横尾さんの誕生日の時もやっぱり横尾担と名乗ることはできなくて、このまま重岡担を名乗りつつ、担当じゃないけど横尾さんが好きですと公言する日々が続くんだろうと思っていた。

 もし何かが変わるとすれば、運よく北海道公演に入れることになった今回のアリーナツアー『Kis-My-Ft2 LIVE TOUR 2017 MUSIC COLOSSEUM』だと思っていた。自分の目で横尾さんを見たら何かしら新しい感情が生まれるのかなと、期待と不安が入り混じった気持ちで緊張しながらその日を待っていた。生の横尾さんを見て自分は何を思うんだろう、これで失望するようなことになったら嫌だなと、コンサートに入る前は正直ネガティブなことも考えていた。

そんな複雑な心境で初めてキスマイのコンサートに行った私の目には、時折疲労の色を隠しきれていないものの格好良くて可愛くて強そうでたまにぼんやりしていて細身の衣装をさらりと着こなすスタイルの良さを兼ね備えた横尾渉が映っていた。つまりはどこにもマイナスな感情は生まれなかった。それどころか、近くにいようが遠くにいようが視界に入りさえすればステージの全景の見えるスタンド席から双眼鏡でその姿をずっと追っていた。

一方で、会場でオレンジ色のペンライトの少なさを目の当たりにして、ファン層の明快な差を痛感したのは死ぬほど辛かった。コンサートに入ってあんなに心細いと感じたのは初めてだった。マイノリティとかマジョリティとか気にせず好きなものは好きと強く思っていればいいだろうし、前にキスマイコンに入った友人からそんな話をちらりと聞いたことがあったからなんとなくは知ってはいたけど、百聞は一見にしかずってまさにこれだと思った。多分キスマイ好きな人はみんな知ってるだろうしそれに慣れっこなんだろうけど、泣きそうだった。そして誰も悪くないのに八つ当たりのように憤っていた。

 

ここまであれこれ書いて薄々匂わせてきたけど言いたいことはただ一つです。

 

横尾担って堂々と名乗ります!!!!!!!
担降りはしないけど掛け持ちします!!!!!!!

 

知っている人からすれば今さら?と言われそうだし100パーセント自分の中での問題なのですが、ようやく踏ん切りがついた。ここまで一人の人間にまつわるあれやこれやに一喜一憂しているのならもう覚悟を決めるしかないと、真駒内セキスイハイムアイスアリーナで誓いの旗を立ててきた。

 

コンサートが終わってからも公演中の横尾さんの印象的だった一コマ一コマが頭の中で唐突によぎって心臓に悪い。頭の中が暴走機関車状態。こんな若気の至りみたいに猪突猛進な感情、それなりに年取ってすっかり消え失せたかと思ってたのにどこから湧いてきたんだろう。ボキャブラリーの貧困さに絶望するけど、しんどいって言葉が今の状態をいちばんよく表している。しんどいからもうやめたいし、しんどくさせるのをやめてほしい。それならいっそ胸を一突きにして墓場まで連れて行ってくれ。

担降りしません

はじめに。

Kis-My-Ft2横尾渉さん、31歳の誕生日おめでとうございます!!!!!!!!!!!!!

こんな風に、横尾さんの誕生日を全力で祝う日が来るなんてほんの数カ月までは想像していなかった。わたしの中での番狂わせは今年の1月7日に舞祭組ハイタッチ会にほんの少しの興味から行ってしまったばかりに始まってしまった。

このブログを見て、かつわたしのツイッターを見ている人はごくごく一部だと思うけど、最近のわたしときたら本当に横尾さんのことばかり呟いている。自覚はある。自分でも思う、お前誰担なの?って。でもわたしの気持ちとしては、上の記事にも書いたように今でも変わらず重岡担なのだ。

今の横尾さんに対しての気持ちは、例えて言えば見逃してもらえる浮気をしているような気分だ。明快に担当と思える人がいるのに、と思いながら、今のこの気持ちを抑えてしまってどうするんだと誰かが囁いてくる。馬鹿なわたしはそれに従ってしまう。一旦駆け出したら火照る体が冷えるまでは止まれない。しかも運の悪いことに、駆け出した道はいつまでも続くように見える坂道だった。

You&J全盛期にジャニオタになったお陰でジュニアの頃からずーっと知っていた横尾さんに、ここに来て脇目もふらず全力ダッシュしてしまうなんて一ミリも想像してなかった。でも担降りはしない、どう見られてもわたしは重岡担!

ただ、横尾さんはわたしにとっての衝撃であって、何なら運命感じちゃいそうなくらいで、そういう鋭く心臓を射抜かれるような感覚は重岡くんを好きになってから感じたことがなかった。重岡くんが周囲を照らす陽だまりなら、横尾さんは暗闇を貫く一筋の閃光。だから、重岡くんが好きなのに横尾さんも好きな今がめちゃくちゃ楽しい。選べないなら両方好きでいいことが許されるなら堂々とそれに甘えたい。わたしは欲張りだから、重岡くんの笑顔の破壊力も横尾さんの真顔の威力もべらべらと語りたいのである。

 

永遠なんて無いよと牽制してもいい―『関ジャニ'sエイターテインメント』を見て―

 2017年5月10日、『関ジャニ'sエイターテインメント』DVD・BDが満を持して発売となりました。初日の札幌ドーム公演に、関ジャニ∞のコンサートには6年ぶりに行かせて頂いた時の雑感がこちらです。

 公演直後に書いたこの記事を読み返してから本編を見ましたが、大体感想は記事に書いたものと同じでした。メンバー全員の仕上げられすぎたビジュアルにぶん殴られ、バンドもダンスもコントも2時間ちょっとの時間に詰め込んでくる構成に戸惑いながらもしっかり満足しました。またコンサート映像を見て、関ジャニ∞を自分にとって過去のものと実感すると同時に、最高で最強の関ジャニ∞である現状をこの目に焼き付けてくることの出来たという事実に改めて感謝しています。

コンサートに行った時も映像を見ていた時もそうだけど、わたしをジャニーズという世界に関心を持たせた錦戸亮という存在について、事あるごとに運命という言葉を交えて語りがちになってしまう。テレビの向こう側にいる人なのに、初めて劇的な一目惚れをしてしまった12歳の秋のことは一生忘れないと思う。あれから干支が一回り以上して、お互い生身の人間だからそれなりに歳を重ねたのに、今まで見た男性の中でこの人の顔がいちばん好きだし、恋とほぼ同じような感情をいちばん全力でつぎ込んだと未だに自信を持って言える。それってすごいことだと自分では思っていて、それなのにどうして今はこの人の担当じゃないんだろうとすら思う。

錦戸さんの前では、運命とか永遠とか一生とか簡単に信じてしまう。自分でもばかみたいだと思うし誰にも伝わらなくてもいいやと思いながらこの文章を書いている。錦戸さんに恋をしたあの日からジャニーズという呪縛から逃れられなくなってしまっている。一度抜け出たのにある日突然ジャニオタに戻ってきてしまったし、昔は一神教の如き錦戸担だったのに今や色んなグループの色んなアイドルの魅力に次々と目を奪われている。

好きになった時は学生だったわたしも時を経て社会人になり、“仕事”という目線でアイドルを見ることが増えた。この人たちはまだ右も左も分からない時から芸能界という特殊な世界に足を踏み入れ収入を得続けているんだとか、今はわたしの何倍の月給をもらっているんだろうとか、仕事だから裏では沢山しんどい思いをしているんだろうとか。そういう風に「わたしと同じようにこの人たちも仕事をしている」と考えられるようになってから、アイドルから元気をもらうという感情の動きが、学生の頃に比べてすんなり理解できるようになった。「あの人たちも仕事している中で今の自分みたいに苦しい気持ちになることがあるんだろうな」と勝手に想像して勝手に救われている。もしジャニーズに救われていなかったら別の何かに救われていたかもしれないけれど、ジャニーズに出会えていなかったら今ごろどうなっていただろうと思ってしまう。

あちこち話がそれたけど、エイタメ見てジャニーズに引きずり込んでくれた錦戸さんとの出会いに改めて勝手に感謝している一ジャニオタがここにいます、という自分語りでしたごめんなさい!あとはセトリ順に感想をつらつら箇条書きしていきます。

 

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