ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

『Traffic』聴いたら錦戸にソロをって言うしかないじゃないか

※『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』コンサート内容及びパンフレットの内容のネタバレを一部含みます。自己判断でお読みいただければと思います。

 

 

 

 

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2017年7月15日、『関ジャニ'sエイターテインメント ジャム』札幌公演に行ってきました。まずは無事初日を終えられてよかった。これからの4会場も大きなトラブルなく終えられることを祈ります。

初めまして、『Traffic』

『ジャム』は初回盤のみ買っていたので、昨日のコンサートで錦戸さんが作詞・作曲をした『Traffic』を初めて聴いた。事前情報として錦戸さんっぽい曲という噂は聞いていて、曲をつくった錦戸さんが歌う姿と歌詞が映るモニターとを交互に見ながら、なるほど確かに、と納得はした。

でもこの曲については、錦戸さんらしいなあハイおしまいだけでは済ませたくなかった。いまの錦戸亮がこの曲を作ったということにあまりに心を揺さぶられてしまって、軽快に進むメロディに反するかのように会場でぼうっと立ち尽くして目にじわりと涙を滲ませていた。

『Traffic』ってどんな曲?

『Traffic』は本人曰く『交通渋滞』をイメージして作った曲(パンフレットより)らしい。現状に対する不満や苛立ち、目的地に到達できないもどかしさ、自身が下してきた選択に対する迷いとそれを無理矢理振り切ろうとするがむしゃらさを、疾走感あふれるメロディーに乗せている。(歌詞はこちらから。気になったら買うなりレンタルなりして頂ければと。)

ツアーパンフレットに、錦戸さんが『Traffic』について語っている部分がある。

でも、こうやって曲を作ってて思うんやけど、自分が言いたいことを言ってるだけじゃ意味ないんだよね。だって、関ジャニ∞の曲だから。聞いてくれる人たち、ファンの人たちとどれだけ喜びや楽しさを共有できるか、いろんな考え方せなアカンなって思った。(中略)でもちょっとだけ、曲の中に自分の気持ちを忍ばせてます(笑)。そもそも僕らはアイドルで、好きなことを言いたくても言えないから。そのしばりのくぐり抜け方はよくわかってるんです(笑)。

「自分の気持ちを忍ばせている」とコメントしているが、本人の口からそんな答え合わせのような言葉が出ようが出まいが、先日放送されたアナザースカイのインタビューを聞けば、多少なり自分の気持ちは入っているだろうという気持ちにはさせられる。

Q.理想までの道は?
「5合目?2合目でもいいくらい」
「なんか、まだまだだなって思います」

―アナザースカイ(2017/7/7)

 正直、いくら紆余曲折あったとしても今の個人やグループでの仕事内容を見る限り、2合目なわけはないだろうと思う。あまりに謙遜しすぎだろう。でも錦戸亮は、満足した豚より不満足な人間であることを永遠に選び続けるような人だということも知っている(知ったかのような気持ちになっていると言った方が適切かもしれない)。だからファンは何も言わずに大人しく見守るしかなく、また、それを錦戸亮らしさと呼ぶ。

『Traffic』から受けたイメージ

『Traffic』の歌詞を見た時にわたしの頭に浮かんだのは、錦戸担だった時期(2003-2010)によく思っていた「擦り切れそう」という言葉だった。

わたしは錦戸さんの、キラキラ発光しているザ・アイドルではないけど閃光のような鋭い光を放つ強さを持っているところに惚れこんでいた。しかし同時に、その光がいつか消えたりしないだろうかと見ている人をどこか不安にさせる焦燥感も持ち合わせていた。もっともっとと進んでいくうちにどこかでぶっ倒れるんじゃないかと思っていた。だからわたしは、今にも擦り切れそうな人だと錦戸さんを評していた。

錦戸担だった時に書いていたブログを掘り起こしたら、“いつかの雑誌で渋谷さんが「亮は行き急いでる感じがする」って言ってて、その言葉が妙に残ってる。そんなに急いてるのかな。でも、確かにもう少しで折れそうなギリギリ感があると思う。忙しくて痩せてきたりすると本気で心配になる。”と当時の自分が書いていた。身近なメンバーにも生き急いでいると思われてるくらいだから、わたしの持っていたイメージはそこまで大きく外れてはいないだろうと思う。

『Traffic』は常にどこか物足りなさを感じ生き急いでいるようすら見える錦戸亮が、今も昔も変わらず在り続けていることを実感させてくれる曲だった。錦戸さんのどこかしらに失望して担降りしたわけではなかったけど、いちばん好きだった時期にいちばん好きだった部分が今も生き続けていることが嬉しかった。だから会場で泣いた。しかもそれを現在の錦戸さんが楽しいと思っているバンド演奏から知ることができたんだから感無量の一言に尽きる。

昔と違うのは、生き急いでいてもそこから危うさが感じ取られないところ。理由は一つじゃないだろうけど、以前よりも関ジャニ∞の構成要員のうちの一人という帰属意識が高まったことが一因では、と勝手に推測している。「他のメンバーの仕事を見てもっと頑張ろうと思う」とアナザースカイで話していた錦戸さんを見て、関ジャニ∞のために自分の仕事を頑張ろうという考えが昔よりも強くなったのかなという印象を受けた。歳をとって考え方が変わるのは当然だから、何がどう影響したのか分からないけど、とりあえずいまの錦戸さんは見ていても心配にはならない。加速しても変な走り方はしないはず。

 

錦戸さんは、顔も立ち振る舞いも考え方も作る曲も、みんなかっこいいよ。ずっと前から知ってたけど。細かな音楽のこだわりは理解できないけど、『Traffic』はかっこいい、いい曲だった。

なにはともあれ、錦戸にソロを。

 

ジャム(通常盤)

ジャム(通常盤)

 

 

横尾担は如何にして横尾担になったのか:傾向分析

 

 

 一週間前、ツイッターはてなブログで横尾担が横尾担に至るまでの経緯を教えて下さいとゆるく募集したところ、なんと40名弱の方からリプライやDMでご回答を頂きました。勢いで始めたのにこんなに話してくれる人がいるものかと、驚きながらも一つ一つにやにやしながら読みました。ただの興味であってどこかに公開する気はない、と宣言した上で尋ねましたが、傾向や個人的に読んでいて面白かったものを自分の中に留めておくのが勿体なく思えてきたので、お名前や文章は載せずに読ませて頂いた雑感を書き残しておこうかと思います。

 

バラエティ番組:やはりキスブサ強し

10人以上の方が、横尾さんを知るきっかけや横尾さんに落ちた決定打として『キスマイBUSAIKU!?』を挙げていました。最近はネタ切れ感が伝わってくることもありますが、なんだかんだで横尾さんに限らずキスマイを認識する入り口としてあれほど最適な番組はないんじゃないかと思います。

料理回や特定のシチュエーションでのキス回等、皆さんそれぞれポイントは違ったんですが、個人的に面白かったのは「彼女の手料理がマズかった時に傷つけずに伝える優しい一言」回でオチたと断言した方がお二方いらっしゃったことです。これを聞いてわたしも見てみたんですが、料理が絡んでいることもあってかザ・横尾渉という感じの一言で、これで落ちたらたぶん横尾さんが何してもそうそう嫌いになることはなさそうだなと思いました。未視聴で気になった方は是非探してみて下さい。

キスブサ以外のバラエティ番組では、『UTAGE!』を見てからという方も数名いらっしゃって、舞祭組というグループの功績に乾杯です。舞祭組関連で言うと、デビュー曲『棚からぼたもち』で興味を持ったという方もいました。『UTAGE!』以外では『濱キス』からという方もいました。

 

他のキスマイメンバーから:最強のわたたいコンビ

これ理想だな~~~いいな~~~と個人的に思った横尾担への落ち方が、

はじめは藤ヶ谷さんが好きまたは苦手(※どちらのパターンの方もいた)
→そんな藤ヶ谷さんを容易くにこにこたいぴちゃんモードにする横尾さんって何者?
→あれ、わたしいつの間にか横尾担?

という藤ヶ谷さんの戦略に見事に乗せられている落ち方でした。話を聞かせてくれた人の中では3人くらいいた。あんなに姫に愛されている横尾さんって一体?ってわたたいの初歩的かつ永遠の謎みたいなところありませんか……? 

藤ヶ谷さん以外のメンバーを窓口に横尾担になられた方ももちろんいらっしゃいました。決定的に落ちた瞬間はキスブサだったりコンサートだったりライブ映像だったりと実に様々でした。夢に横尾さんが出てきたからという方もいた。

 

10000字インタビュー:賛否両論の『賛』の存在

話を聞かせてもらった中で最も感動したのは、当時大変問題となったであろうMyojo10000字インタビュー(Kis-My-Ft2『裸の時代』に掲載)で横尾担になったという方が数名いらっしゃったことでした。わたしも先日読みました。

 あの文章で自分から離れていった人の方に目を向けがちな話し方を2回目の10000字インタビューで本人がしていたけど、あの時横尾さんに落とされた人もいたんだと思うと、よかったあよかったあって泣きじゃくりながら安堵の声を上げたくなりました。ファンは本人の予想なんて簡単に裏切ってくるんだよ横尾さん……。

 

少クラ・ライブ映像:ローラー全盛期の横尾渉に見惚れるがいい

過去の少クラやライブ映像を見てという方ももちろんいました。昔の少クラを見て横尾さんに興味を持った方が2名いましたが、お二人ともとにかくローラー姿が美しいと褒め称えていたので、やはりキスマイはこれからもローラー履いていって下さいと願うばかりです。実際デビューから5年経ってもコンサートで積極的にローラーを履いているのはとても好もしく思える。

ライブ映像は結構ばらばらでしたが、Kis-My-TVの沖縄シェアハウスのビジュアルが最高すぎてオチましたと話していた方とはがっちり握手したくなりました……(強火丸眼鏡担)。

 

 

直接ご連絡頂いた方には一人一人にお返事させて頂きましたが(万が一漏れていたら教えて下さい!)、改めて皆さんの大切なお話を聞かせて下さってありがとうございました。大規模なアンケートじゃないので傾向を掴んだとすら言えないかもしれませんが、ツイッターのフォロワーじゃない方でもDMで長い文章を送ってくれたり、これをきっかけに初めてお話できた方もいたりして、個人的には大満足です。皆さまが健やかなオタクライフを送られることを祈っています。

担降りしたかもしれない

ここ数日、沢山の横尾担から横尾担になるに至った経緯や現在の自担に対する思いを伺い、現在の自分の気持ちを整理しようと思い書きましたが、ただただ長いです。

 

 

はじめに結論だけ言うと、

  • 重岡担と横尾担の掛け持ちという呼称をひと月ほど前に自身に課したものの、担当という言葉の便利さにあやかって便宜上重岡担を名乗ることはあっても、以前のように胸を張って重岡担とは言えなくなってきた

ということと、

  • 現時点の自分にとっては横尾さんが自分の考える『担当』の定義にいちばん近い存在になっていることを認めざるを得ない

ということ。つまりざっくり言うとこの記事はいわゆる『担降りブログ』です。ここで多くのジャニオタが一度は考えたことのある「担当とは何か」問題が始まってくるんだけど、自分の最近の動向や心理状態を顧みて『担当=いま最も興味深い対象』という仮説が今のところ有力になっている。

 

ここ一カ月の間に、横尾さんの誕生日があったりキスマイのコンサートに初参戦したりと、横尾さんに対する自分の感情を見直すイベントがいくつかあった。その度にこの場でその時その時の思いを書き殴ってきた。横尾さんの誕生日には「重岡担だけど横尾さんに全力で浮気している」と書いたし*1、アリーナツアー参戦後は「重岡担と横尾担の掛け持ちだと名乗る決心がついた」と書いた*2。短いスパンで変わっていく自分の気持ちに自分でもついていけないところがあって、まるで自分が嘘をついているように思えた。そんな深刻に考えるなよ!と一蹴したくなるが、自分にとっては誰が担当か、誰が今いちばん好きなのか、誰を今いちばん応援したいのか、という問題は自分で思っていたよりも重要な問題のようだった。

ふと、今の状態を過去にも経験していたことに気が付いた。アイドルに一切興味のなかった小学生のわたしを一瞬でジャニオタに変身させた錦戸さんから7年の担当生活を経てゆるやかに担降りしていった時だ。その時のエイトはというと、アルバム『∞UPPERS』を引っさげたドームコンサートを行っていて、その東京ドーム公演に一度だけ入った。申し込んだ時点で既に熱はかなり落ち着いていて、それから公演までの約2か月の間でさらに穏やかになっていた。そんな状態で参戦したエイトのコンサート後、当時のわたしはこんな感想をこっそりしたためている日記に綴っていた。

一言で言えば行ってよかった。正直今の中途半端な状態の自分が生の彼らを見ることにどれだけの価値があるのか若干迷いがあったけど、今回久しぶりに直にエイトの空気を感じることで自分の立ち位置を確認できたように思える。好きか嫌いか、の次元でなく単純に応援したい、もっと大きくなってほしい、成長していく様を見続けていたい、そんな思いがある。

自分で紡いだ言葉ながら、ここに答えがあるように思えた。

認めたくない気持ちがずっとあったせいで言葉にしたくなかったけど、横尾さんに興味を持ち出してからのこの数か月、その興味の高まりに伴って重岡くんへの熱量が目に見えて落ち着いてきた。ここ一、二か月は特にそうだ。昨年末に奇跡のような初ドームコンサートに行き、今年は新たな一面を見せながらも相変わらずの素晴らしい構成で魅了してきたアリーナツアーに足を運んでいたのに、その頃の自分が本当に存在していたのか疑問に思えてくる程になった。そこでもまた、自分が嘘つきのように思えてしまった。

じゃあ、自分にとって重岡くんは過去のものになったのかというとそうではない。今もすごく、すごく好きだ。だいっきゃんスマイルと濵田さんが称する満面の笑顔を見れば安心するし、不意に今まで見たことのない表情をするとどきりとさせられるし、幼稚園児のようにはしゃぐ姿をみて呆れながらも微笑ましくなる。

ただ、今の自分にとって最も興味深い対象ではなくなってしまったんだと事あるごとに思わされる。何様のつもりだという話をするが、今まさに勢いをつけ始めているジャニーズWESTにいちばんに興味を持てないというのは、本当に損をしていると思う。好意を損得で語るなよと思うけど、良い意味で「これからのジャニーズWESTは一体どうなっちゃうんだろう……」と常日頃考えているので、自分で自分のことを残念に思う。でも、いちばんに興味を持てないのは、どうしようもない心の動きとしか説明ができない。胸に手を当て耳をすませば、遅かれ早かれいずれ自分にバレる。自分の心を無視することはできない。

それでも、いちばんに好きかどうかという次元を飛び越えて、単純に応援したいしこれから成長していく様を見続けていきたい。かつて関ジャニ∞に感じたことを、今は重岡くんやジャニーズWESTに対して強く感じている。

  以前自身のツイッターで、錦戸担時代に買ったエイトの映像作品を見てこんなことを呟いた。これに当てはめて言うと、いちばん好きな人よりも興味深い人が突如として現れたことによって、結果的に“(かつていちばんに)好きだったもの”がまた一つ増えてしまったのが今の状態である。

こうして改めて文章にすると、後ろ髪を引かれるような思いが少なからずあることもまた事実だと痛感する。言い訳がましいが、どうしてたった半年足らずで自分がこうなってしまったんだと未だに不思議に思う。『道しるべ』発売イベントのハイタッチ会に行かずに横尾さんのビジュアルに撃ち落されていなければ*3、今ごろこんなことにはなっていなかったのだ。しかしながら、重岡くんに心を掻っ攫われていた過去は絶対に変わらない。宝箱を開けばいつでもきらきらしたものが手に入れられるというのは素晴らしいことだと思う。

そして今のわたしは、懲りずにまたいずれ宝箱にしまわれるものを構築しているのだろうとも思う。でも今までジャニーズのアイドルを好きになって後悔したことは一度もない。好意や興味、関心というエンジンを搭載してトップスピードで走り抜ける“今”の連続は、いつだって最高に気持ちがいい。少しバカになるくらいが丁度いいと思っている。バカみたいにトップスピードで駆け抜けてきてしまった結果、今のところ横尾さんへの興味が留まるところを知らないし、顔もスタイルも良すぎる抜群のコンディションの時はいっそ胸を一突きにして一思いにやってくれと本気で思う。自分でも信じられないくらいに横尾さんに熱のこもった視線を送っている。

今いちばんに好きなものと、かつていちばんに好きだったものがそれぞれ増えただけで、こんなに胸が締め付けられるものかと驚かされる。でも、自分には掛け持ちという概念がいまいちそぐわなかった。掛け持ちという言葉にどこか違和感が拭えないまま、とりあえず言ってみれば気持ちもついてくるかもしれないと思い「掛け持ちする」と宣言したが、やはりその違和感が完全に消えることはなかった。たとえ別路線の人を同時に好きになっても、複数人を同じ熱量で追いかけるだけの気力体力を持ち合わせていないせいで、同率一位という概念が自分の中に存在し得ないことを身を以て痛感した。

 

そして冒頭でも述べたように、現時点の自分にとっては横尾さんが自分の考える『担当』の定義にいちばん近い存在になっていて、既に重岡担と堂々と言える状態ではないことを、自分に言い聞かせるつもりでひたすら文章を書き連ねてきました。しかしここまで話しておきながら、重岡担からの横尾担ですと簡単に自称できない自分がいてうーーーんとなっているところもあって。たぶん担当という言葉のフランクさに横尾さんに対する気持ちがついて行っていない感覚がそうさせているんだと思うんですが、これも一つの担降りであることには変わりないと思い今の気持ちをまとめた次第です。

整理しきれていない文章に目を通して下さった方の親切さに感謝の念を込めて、わたしの担降りブログを終わりにしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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