ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

古参が新規にモヤモヤしている時、新規もまた古参にモヤモヤしている

 

昨晩、古参と新規についてのあるブログを読んだ。

 

 

端から端まで、自分のまとまっていない考えを代筆してくれているような文章だった。救われたような気持ちすら覚えた。

このブログの内容を受けて、素直じゃないひねくれたとあるオタクの話をします。

 

 

新規が感じる「圧」

最近、実際会場に行く行かないに関わらず、コンサート終わりのファンの空気に息苦しさを覚えることが増えていた。

例えばコンサートで、演者の誰かが「いいこと」を言ったとする。すると、会場にいたファンの誰かが、その言葉に感動した旨をツイッター等で報告する。さらに会場にいなかったファンの元にも同じ言葉が届き、感動が増幅される。

その巨大に膨らみ押し寄せてくる多数の感情を含んだ「圧」のようなものに、時たま押しつぶされそうになった。

そこにファンの「回顧」が加わると、余計くるしかった。自分の知らない物語を語られることに疎外感を覚えた。

現在わたしはKis-My-Ft2を主に応援しているオタクだが、キスマイに本格的に興味を持ったのは2017年はじめ頃なので、リアルタイムで追いかけて始めてからはおよそ1年半しか経っていない。それ以前のことは知らないことばかりだ。例えばファンになってすぐの頃、キスマイのファンが「あの夏」「あの夏」と思い出深そうに言っているのを見て、「あの夏っていつやねん!知らんわ!」とツッコミながら心の底では寂しがっていた。だってその思い出、わたしは持ってないから。

自分の所持していない思い出を語られると、負けたような気分になった。ファンはファンでしかなくて、皆対等な存在だと思いたいのに、ただの趣味でやってることに自分で優劣つけて苦しくなって、ばかみたい、と自分自身に思っていた。

 

「圧」の正体

先に引用したブログの中で、“「ジャニオタ」「〇〇くんが好き」というアイデンティティが古参には確立されてしまっている”という言葉が登場するのだが、この頃わたしもまさに同じことを考えていた。他人の感情的な言葉から「圧」を感じる理由がそこにあった。

自分がたびたび感じていた「圧」の正体は、「この人のことをわたしはずっと好きなんです!」というアイデンティティを前面に押し出すような空気感だった。

過去のマイナスからの現在のプラスへの転換、みたいなエピソードが語られるときは余計そうだった。プラスしか知らない新規は、厚みのあるはずの物語の一部しか理解できない。他人がする「マイナスの時は~けど、今はプラスになって~」みたいな話を、ただのいい話として聞けばいいものを、ひねくれたファンである自分は素直に聞けなかった。「楽しいことだけじゃなく苦しいこともあったんです、それを乗り越えてきたんです」と、「不幸売り」されている感覚に近かった。

 

オタクであることはアイデンティティじゃない

これに気付き始めてから、「〇〇さんのファンです」とは言うが「〇〇担です」と名乗ることを控えるようになった。ただ誰かを好きで応援しているだけなのに、胸にその名札をでかでかと掲げて主張しているようで、違和感を覚えてきたのがその理由だ。他人からすればどこが違うの?程度の話だが、自意識の問題なので気になっても軽く流してほしい。

わたしは、オタクであることを誇りに思いたくないし、アイデンティティとして掲げたくもない。恥ずかしいことでもないけど、自慢することでもない。わたしはただ、偶然誰かを好きになってしまっただけの人である。

 

担当を名乗ることはわるいことじゃない

誤解させるような文章を書き連ねてきたが、前述の内容はわたし個人の考えであって、誰かの担当を名乗ることを否定しようとは思わない。担当を明快にしているとまず自己紹介が楽だし、「もっと頑張って応援しよう!」と自分を鼓舞して前向きな気持ちも生まれる。

 

だれもわるくない

何より、アイデンティティによる「圧」を感じるのは受け手側の問題であって、発信者側にはおそらく「新規をマウンティングしてやろう」みたいな悪意はないはずだ。つまり、至極真っ当な結論だが、別に誰もわるくないのだ。新規が古参を意識するのも、逆に古参が新規を意識するのも、当人が勝手に意識しているだけで、相手はただ「好き」に従った行動をとっているだけである。

だれも悪くないのにだれかのせいにすることはできない。

よって、他人を気にするな、他人と比べるな、という月並みな結論が導き出される。これが難しいから苦しむわけだが、こればかりは日々訓練と思ってがんばるしかない。

ただ、闇雲に精神の鍛練だけを続けるのもなかなかつらいものがある。しかし、他人を気にしすぎないようにする仕組みづくりは、自分で考えてすぐ実行に移せるはずだ。その過程で、自分が他人のどのような言動に反応するかが分かっていくと思う。あらゆる情報にすぐ手を伸ばせて、他人の言動が見えやすい今だからこそ、自衛する術もきちんと身につけていかねばならない。

 

 

こんな小難しいことを考えなくても楽しくオタクライフを送れている人はそれでいい。というか、そのような人に対しては本気で羨ましさしかない。

ただ、自分のような鬱屈としたオタクでも、晴れ晴れとした気持ちで誰かを好きでいたい。そのためにはあれこれ戦略を立てて、オタクとして楽しい日々を送れるよう努力を重ねるほかないのである。

古参も新規も関係ない。みんなで幸せになろう。

 

 

 

 

『‪ConneXion‬』の扉、開けてみたくない?

 

突然だが、Kis-My-Ft2内ユニット曲である『ConneXion』について語らせてほしい。

 

『ConneXion』とは?

『ConneXion』とは2018年7月11日発売、Kis-My-Ft2の21枚目のシングルとなる『LOVE』通常版に収録されている、藤ヶ谷さん千賀さん横尾さん3人によるユニット曲である。この曲では3人にそれぞれ役割が課されている。藤ヶ谷さんは作詞(Lylic maker)、千賀さんは振り付け担当(Choreographer)、そして横尾さんはファルセットを歌う人(Falsetter)である。ちなみにFalsetter(ファルセッター)は、藤ヶ谷さんが「どの音域が歌いやすい?」と聞いたところ、「ファルセットが歌いやすい」と返したらしい横尾さんのために作られた造語である。

 

『ConneXion』の歌詞について

まず、作詞を担当した藤ヶ谷さんがどのような詞を書いたのかについて考察してみたいと思う。

まず前提条件として、歌っている本人たちが『ConneXion』は失恋の歌である、と話しており、さらに「ワタシ」という一人称が登場するので、女性目線の失恋ソングとして話を進めていく。

まずはサビ以外の歌詞から、“ワタシ”がどのような人物であるかを読み取ってみたいと思う。

 

1番

◎未練がましい

思い出す あの時から ずっと
忘れるコトとか出来ないから I'm sorry

キミなしでは… You know?

あの頃に戻れたら…

◎自信ありげ

今、誰といるの?
泣かないでね。あの夜に戻してあげるよ…

2番

◎強気

あの言葉はFakeかな?だとしたら I hate you

偽りのI love youならI'll give it to you

◎弱気

ワタシからは言えないの
I miss you, I kiss you その先も…

◎自信ありげ

カラダに正直に おいで

 

このように1番と2番の両方で、プラスの感情とマイナスの感情が交互に登場しており、男(=“キミ”)との別れによって“ワタシ”の精神がいかにかき乱されているかが読み取れる。「ワタシといた最高の夜に戻してあげる」と思いながら、「ワタシからは言えない」と言い、それなのに「カラダはワタシを求めているだろうからおいで」と“キミ”を誘う。

一方で「泣かないでね。」という“キミ”に語るような一文から、相手側も実は納得のいく別れではなかったのかもしれない。

  

“ワタシ”の人物像をざっくり把握したところで、次はサビに論点を移す。『ConneXion』の肝と言っても過言ではない、サビで繰り返される「You've got ConneXion to me」「I can take me touch tonight」について考えたいと思う。まず意訳をし、そこからどのような背景が読み取れるかを考察したい。

 

・「You've got ConneXion to me」

直訳:あなたはわたしとつながっている(現在完了形)
「キミとワタシは今も昔もつながったままなのよ」

・「I can take me touch tonight」

直訳オブ直訳:わたしは今夜わたしをtouchに連れていくことができる(takeを「連れて行く」という意味でとらえた場合)*1
→直訳と意訳の中間:ワタシは今夜自分を触らせることができる
「今夜、ワタシはキミと触れ合うの」

 

二つのフレーズを、わたしは上記のように意訳した(正直「I can take me touch tonight」は訳と解釈に自信がなさすぎるので、ご意見のある方はわたしに連絡ください……)。サビ前で強気と弱気の間を行ったり来たりしていた“ワタシ”は、結局サビに入って強気モードで“キミ”への思いを走らせ始める。

しかし、弱気モードの“ワタシ”も知っている聴き手には、それがどこか虚勢を張っているようにも思えてしまう。ここに存在しない“キミ”に泣きついてるようにも思えるし、逆に“ワタシ”自身に別れてしまった“キミ”との現在進行形のつながりがあるのだと言い聞かせているようにも思える。そう考えた途端、藤ヶ谷さんと千賀さんが歌割りを担当している「Baby」が、ある一人の女の悲痛な胸の内の叫びとして、一気に胸に押し寄せてくる。

 

以上を踏まえて、

  • “ワタシ”と“キミ”の2人は、本当は別れたくはなかったものの、男側のどうにもならない事情によりやむを得ず別れてしまった
  • “ワタシ”は既に別れてしまった“キミ”との関係がどうにもならないことを頭では分かっているが心では納得しきれずにいる

と考察した。正直に言うと、ありがちな悲恋もののストーリーなのかな、という感想を持った。

 

横尾担として語る『ConneXion』の良さ

前述したように、考察してみるとよくある女性目線の失恋ソングのように思えはする。しかし、この藤ヶ谷さんの詞と、密やかな一人の夜を思わせるR&Bの曲調の親和性が非常に高い。加えて、歌声のベースとなっている藤ヶ谷さんと千賀さんの声もR&Bの曲調にぴたりと寄り添っている。これらがこの曲を良いと感じる理由の大前提としてあると思う。

しかしその二人の声とは別に聴こえてくる、もう一つの歌声がある。それこそがファルセット担当の横尾さんの声である。「この高音も藤ヶ谷さんか千賀さんが歌っているのかな?」と思ったら、違う。横尾さんの声なのである。二人の後ろから歌っているように聴こえてくる高音も、サビで堂々とソロを歌い上げている高音も、すべて横尾さんの声なのである。

初めてCD音源を聴いたときは、マジかよ、と思った。もちろん良い意味の「マジかよ」である。ここまで前面に横尾さんが押し出されてくるとは思っていなかったからだ。

そもそも『ConneXion』は藤ヶ谷さんがセルフプロデュースをした曲であり、制作段階の初期に横尾さんに「どんな音域が歌いやすい?」「何がやりたい?」など確認をした上で曲が作られていったらしい(その結果横尾さんはファルセット担当となり「歌は苦手だけどラップは好き」と答えた横尾さんのためにラップ詞が入った)。

その藤ヶ谷さんの思いの丈が込められているコメントがこちらである。

ドラマで言うならば、今回の曲はワタが主役で、オレらが2番手。主役を輝かせるために、がんばったよ。

―『duet』2018年8月号

 この一文が、『ConneXion』は横尾さんを歌唱のみで輝かせるために藤ヶ谷さんが用意した舞台であることを証明している。「歌う場所ぜんぶファルセット」という新たな試みにより、藤ヶ谷さんの思惑通り、『ConneXion』で横尾さんの今までにない魅力が引き出されている。藤ヶ谷さんの計画は見事に成功した。

そしてわたしは、藤ヶ谷さんと親和性の高い世界観の音楽に横尾さんが首を突っ込んだ、という事実に非常に興奮した。わたしが『ConneXion』をゴリ押ししたい気持ちの源はそれかもしれない。

わたしは正直、横尾さんが藤ヶ谷さんに音楽的に助けてもらうことはあっても、二人の音楽が交わることはないと思っていた(『わんダフォー』は二人で歌ってはいるが二人の音楽ではないと個人的に思っている)。それがこの曲で現実のものとなってしまったのだから、想定外の喜びが訪れたと表現しても過言ではない。

とにかく、横尾さんを応援する一ファンとして、横尾さんを最適な形でセルフプロデュース曲に参加させてくれた藤ヶ谷さんに感謝の意を述べたい。

 

 

ここまで歌詞の解釈やら制作背景など色々語ってきたが、まずは曲を聴いてみるに越したことはない。公式ページで試聴できるので、聴いたことのない方は是非聴いてほしい。→ DISC | Kis-My-Ft2 Official Website 
※スクロールして通常盤の『ConneXion』の横にある再生ボタンを押してください。 

あわよくば通常盤を今すぐポチっていただけるとより嬉しい。他のメンバーのユニット曲(『星に願いを』『Happy Birthday』)も違った良さがあるので、出来ることなら全てのユニット曲を一度聴いてほしい。

LOVE(通常盤)

LOVE(通常盤)

 

 

ユニット曲の物語性を感じさせるKis-My-Ft2の21枚目のシングル『LOVE』、どうぞよろしくお願いします!

 

 

 

 

*1:ちなみにtakeはこの辞書サイトによるとセックスするという意味もあるらしい……Oh……。

takeの意味 - goo辞書 英和和英

 

横尾さんが歩む「戦略的」資格道

 

日刊スポーツ内連載『Saturdayジャニーズ』(2018年7月7日付)にて、横尾さんの資格取得について、「横尾渉の資格道とは」と題されスポットが当てられた。

 「バラエティー番組をやらせてもらっていて、ただペットが好きとか、料理が好きとか言ってもあんまり説得力がないじゃないですか。例えば、土地を借りて何かやってみようという企画があったら、じゃあいっそのこと僕らが重機を使えるようになって自分たちで何かを建ててしまおうというくらいにならないと通用しないと思うんです。」

これまでも横尾さんの資格についてのインタビューは見聞きしたことがあるが、「好きだけでは説得力がない」と、これほど力のある言葉で語っているそれを、わたしは初めて見た。

自分の関心事を仕事につなげようという意図が多少なりあることは知っていた。ペット介護士の資格を取ろうと思い至ったきっかけこそ年老いた愛犬の存在がきっかけではあったものの、「仕事につながれば」という思いもあったことは、2016年11月号のMyojo10000字インタビュー内で本人の口から語られている。

ただ、今回はより「戦略的」に資格取得を目指している印象を受ける文章だった。

「芸能界を見渡しても大学で資格を取ったり、語学が堪能な人はたくさんいるじゃないですか。隙間産業じゃないですけど、そういうところを狙っている感じですかね。キスマイはジャニーズの中で一番NGの少ないグループですし。」

資格を取ること自体に横尾さん自身が注目し始めてからそれなりの時間が経ち、単に語るための言葉が本人の中で潤沢になったのかもしれない。いずれにしても、デビュー7年目を迎えたKis-My-Ft2にとって頼もしい存在だと率直に思えるインタビューだった。

 

ただでさえアイドル戦国時代と表現されることすらある昨今、事務所内だけを見ても様々な特技を持った人たちがいる。高学歴アイドルもすっかり珍しい存在ではなくなってしまった。

その中をすり抜け、自身だけのポジションを見つけようと試みる横尾さんの戦略的行動を、わたしは好もしく思う。センスは磨けば光るしその磨き方も様々であることを、わたしは横尾さんから学んだ。

つい先日、小型船舶2級の取得を情報番組『PON!』の生放送中に初めて公表したことには、いい意味で驚かされた。これからも不意打ちのおめでたい報告が聞けることを楽しみにしている。