ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

ジャニーズWESTと勝手に仲たがいした、そして勝手に和解した

 

2015年の秋ごろから重岡担を名乗ってジャニーズWESTに力を入れて応援していた。

しかし2017年の1月、天の巡りあわせで横尾さんにビビッと来てしまい、そのまま徐々にKis-My-Ft2に興味を持ち始め、それと入れ替わるように1年くらいかけて自分の中のジャニーズWESTの波は徐々に引いていった。その辺の記録は度々このブログにもまとめていた。

 

 それだけを話すと「より好きなグループができたから推しグループを乗り換えた」という風に聞こえるが、正直、当時のグループの売り方にあまり好感を持てていなかったというのもフェードアウトした理由としてある。前にも似たような曲あったじゃん、とか、直球でキメキメのパフォーマンスもできるのに披露する機会の多いシングル曲でおもしろおかしい方向の曲を出すんだろう、とか。本人たちにというより売り方の方向性に不満を持っていた。

そんな経緯があり、掛け持ちのような期間を経てKis-My-Ft2を本格的に応援するようになってからは、ジャニーズWESTを懐かしんで見ることすら出来なくなり意識的に距離を置いた。かつて応援していたはずなのに、その当人たちを見ることで自身の不満がより浮き彫りになることがつらかった。しかも彼らのせいではないのに。

 

そんなスタンスが1年弱ほど続いていた昨年の冬頃、多くのジャニーズグループが出演する長時間の音楽番組を見ていた時、ジャニーズWESTも出演していたので流し見程度に見た。確か『スタートダッシュ!』を歌っていた記憶がある。すると自分が思っていたよりもネガティブな感情が起きず、むしろ「今までも元気で明るい曲は歌ってきたけど、ちょっと路線が変わって少年漫画っぽい応援ソングでいいな」とポジティブな感想を持った。

その辺りを皮切りに、積極的に出演情報をチェックすることはしなかったが、出ていたら見る、くらいのスタンスになった。「なった」というより「戻った」という方が適切かもしれない。

今年に入ってからは、たまたまコンビニで流れていた『ホメチギリスト』が耳に残ってサビが忘れられなくなったり、節約ロックで久しぶりに重岡くんの演技を見ていいキャラの役もらったなあと思いながら毎回楽しみに見たりしていた。自分で遠ざけたものに、徐々に自分から歩み寄っていった。

 

そんな折、先週発売となった今年のツアー映像を友だちに見せてもらえることになった。これがきっかけでまた距離感が良い方向に変わればいいな、と思いつつその日をわくわくしながら待っていた。

彼らのコンサートを見るのは2017年ツアーのなうぇすとぶりだったが、まず構成が個人的にすごく好きだった。通しで見ていても集中力が途切れない、流れのいいコンサートだった。あと、歌唱力のベースラインが高いかつ高音と低音の担い手がそれぞれいるお陰で、歌っていてハモることが多いのも魅力的だと思った。

そしてかつて重岡担を名乗っていたわけだが、やっぱりふとした瞬間にグッとくるのは重岡くんの言動だった。今回のコンサート映像で好きだった場面が2つあった。1つは『間違っちゃいない』、もう1つはアンコール。

『間違っちゃいない』はあらかじめCD音源を聴いてその作詞が重岡くんであることを知った時点で、「もし今も重岡担だったらこの曲で何かしらのターニングポイントを迎えていた気がする」と薄々悟っていたが、コンサート映像を見て「こりゃあガチの重岡担だったら初見の時に倒れてたな」と確信した。自分のことを好きな人ばかりが集まるコンサート会場という場所で、自分の弱い部分を晒す覚悟を決めた重岡くん格好良すぎる、と思った。普段のキャラがキャラなだけになおさら。歌う前に「自分が弱っていた時に書いた歌」と言いきっていたのは、本当に格好良かった。でも弱った時に「間違っちゃいない」と言い聞かせられるのは、おそらく自分に積み重ねてきた自信がないと出来ないことで、それを踏まえた上で再びあの歌と向き合うと、重岡くんの弱さだけでなく強さも感じられる気がして、とんでもない曲を書いたなと思った。

アンコールは何が好きだったかというと、淳太くんの腕をおもむろに掴んでひたすら外周を走り回ってそのまま花道も駆け抜けていた重岡くんが、すごくすごく好きだった。他のメンバーがゆっくり歩きながら客席に向かって手を振ったりファンサしたりしているのに、重岡くんはわき目もふらず前を向いてにこにこ笑いながら、ひいひい言ってる淳太くんを連れ回していた。もしかしたらそれを見て「ファンサしてよー」ってぷりぷりするファンもいたかもしれないけど、わたしは少々厄介でひねくれたファンだから「アイドルはファンのこと最低限考えてほしい(法を犯さないとかそういうレベル)けどそんなに気遣わなくていいから勝手に走っていってちょうだいよ」と思っていて、その欲求があのソロ運動会状態の重岡くんによってひったひたに満たされた。最高だった。

ちなみに勝手なイメージだけど重岡担って機会ごとにポエマーになりがちな印象があって(わるい意味ではない)、そして実際今ここで自分もそうなっているんだけど、それは本人が語らないから見る側がなんとかして彼を語ろうとしてしまうのだと思う。見た人が口を開かずにはいられないほど大きなエネルギーを持ったアイドル、それが重岡くん。

 

当初期待していた「ちょっとでも距離感が変わればいいな」どころか、こうしてブログの記事を1つ書いてしまうくらいには多大なる影響を受けてしまって、正直ちょっぴり恥ずかしい。でも、永遠に仲たがいしたままで終わらなくてよかったと思う。好きになったこと、好きでいた時間。彼らの関わった自分の過去は、何も間違っていなかったのだ。

 

 

 

 

 

ナゴヤドームの天井席、星になってきみを抱きしめた

 

およそ1週間前の6月15日、わたしは普段生活する関東を離れ名古屋にいた。Kis-My-Ft2のドームツアーの名古屋公演に行くためだ。

その日は空の具合が悪かった。ずっとどんよりとしていた曇り空から、開場時間くらいに突然どしゃぶりの雨が降り出して、全身をじっとり濡らされた状態で会場に到着した。履いていたスニーカーの中に水がしみ込んで気持ち悪かった。

 

ナゴヤドームの2ゲートでデジタルチケットのQRコードを読み取って出てきた用紙には「5階」と書かれていた。これまで全国各地のドームに足を運んできたが、2階か3階くらいまでしか階についての表記を見たことがなかったので、「5……5?」と目を丸くした。

ともあれチケットの表記に従い席を探すと、そこは『天井席』だった。わたしは会場で最も高い位置にある席を「ご用意」されたのであった。当然ながら席について後ろを振り返っても壁しかない。一方下を見れば人、人、人。その先にこれから主役が立つステージがあった。

「ここなら演者から視認されることはまずないだろうし、逆にこちらも誰が誰なのか一目でぱっと判別できない、銀テープも飛んでこない。好きなようにペンライトを振って、必要時はガッツリ双眼鏡を覗かせてもらおう、レーザーが綺麗に見えるだろうなあ、ふふ」

席が分かった瞬間、コンサートに対するいくつかの期待をばっさり刈り取られ、開演前から気分はすっかり吹っ切れていた。

「わたしは名古屋に何をしに来た?」「コンサートを『楽しみに』来たんだよ」

心の中でそんなやり取りが交わされていた。むしろいつもと違う高揚感すらあった。

 

そんな心もちで始まったコンサート。シンプルに、気持ちがよかった。「コンサートって楽しい、楽しいなあ!」と心の底から思った。

後ろを気にせずペンライトを半ば突き上げるようにしながら振ること。緑や紫の素早い光線の動きをじっと見つめてうっとりすること。一緒に踊ることのできる振りの曲を全力で踊ってみせること。何なら主役ではなくジュニアの子たちの振りを真似してしまうこと。

周囲に迷惑をかけないようにしつつも、後ろに誰もいない、というだけである種の開放感があった。

 

メンバーの立ち位置に合わせて綺麗に分かれる7色のペンライトを、最も眺めのよい場所から見られたことに感謝した。壮観な景色だった。たとえ頭で美しいことを知っていても、何度でも美しいと思ってしまう光景だと思う。

瞬間、ドーム内のてっぺんから会場全体を俯瞰した画がふと浮かんだ。メインステージを除いてアーチをかたどる7色の海。そのはじっこを何倍もズームしたところにぽつんと自分がいる。自分がこの会場をつくるパーツとして動いている感覚が、ざあっと波のように押し寄せてきた。

「今この瞬間、わたしはドームの一部なんだ」

幸福な空間の構成員として機能している自分が、どこか誇らしく思えた。

 

公演が終わり会場を出る時も、残念ながら来た時と同じように雨が降っていた。風も強く、傘を差してもほとんど役に立たないような荒れ模様だった。少しはよそ者に親切にしてくれたっていいじゃないか、とこっそり悪態をついて駅までの道を急いだ。

それでも気分がよかった。コンサートの後って、こんな感じだったかな。風に持っていかれないように傘を握りしめながら心の中で自身に問いかける。興奮しすぎて何から喋ればいいか分からなくて語彙力喪失、みたいな感じではなく、羽が生えて少し身軽になったような、終演後にあまり感じた覚えのないふわっとした感覚に包まれていた。

 

担当が何をしているのか常にこの目で追いかけたい。銀テープを取って帰りたい。近くに来てこっちを見てほしい。話したことを聞き逃したくない。

コンサートに臨むにあたり、自分も含めそこに集まる人たちはきっと様々なものを求めて会場へ向かう。欲は自然発生的なものなので、それを抱えることは悪いことでも何でもない。そして「好き」は身勝手な欲をごちゃまぜにしたものだから、実際にただ「楽しい」とだけ思うことは、好意の対象を目の前にするとかなり難しいと思う。

それでも確かにあの日、ナゴヤドームの天井席で、まっさらな「楽しい」と対面して抱きしめることができた気がする。その事実を、羽毛のような幸福を、わたしはこの先何度でも思い返したい。

 

 

オタクには欲しいものが山ほどあるから結婚指輪は辞退した

 

水曜日、南海キャンディーズ山里亮太さんと女優蒼井優さんの結婚報道が世間を賑わせた。報道が出たばかりの朝の時間帯は驚きの声が多かったが、その日の夜に開かれた記者会見を受けて一気に祝福ムードが増幅された印象がある。ノーカットで会見を見させてもらったが、全体を通して微笑ましく心あたたまる記者会見だな、と思った。

個人的にいちばんグッと来たのは、記者に「結婚指輪は?」と聞かれた時の蒼井さんの回答だった。

 

結婚指輪については「お断りしました」と明かし「買ってくださると言ったんですけど、私大切なものって絶対なくすんですよ。年内になくす自信があったので。もし、それだとしたら、また何かを一緒に経験することに使ってほしいかなと」と真意を説明した。 

蒼井優、両親への結婚報告で涙 結婚指輪は辞退「年内になくす自信があった」 | ORICON NEWS

 

脇道に逸れるが、少し自分の話をさせてほしい。

今年の1月、大学時代から付き合っていた人と結婚した。結婚した後、知人に結婚したことを伝えると、「指輪は?これから買うの?」と聞かれることが何度もあった。デパートに置いてある様々な店舗のリングが掲載されたパンフレットを「せっかくだしこれ見てみなよ」と渡されたこともあったし、「あのブランド、わたしの友達で買ってる人が多いよ」とおすすめのブランドを紹介されたこともあった。

その時から今まで変わらず、わたしの左手薬指には何もついていない。これからもつける予定はない。

「結婚指輪、なぜあんなに高そうなものを結婚したというだけで買わねばならぬのだ……?」

結婚する前からずっとそう思っていたし、『結婚する』と『指輪』の間をつなぐ等号の意味を、結婚してもいまいち理解できなかった。

わたしは装飾品の類に興味がなく、普段身につける習慣がない。興味がないものに投資する余裕はない。興味のあることに“だけ”は常に全力ダッシュする、根っからのオタク気質の人間だからだ。

とにかくオタクは忙しい。ある日は円盤の発売が告知されれば即座に予約、またある日は推しの出演している映画鑑賞、またある日は遠路はるばるライブ参戦。

時期によって波があったり個人のスタンスにもよる部分もあったりするが、基本的にオタクをするには金は要る。稼いだ金をどこにどう使うか優先順位を考えながら日々暮らしている自分にとって、『結婚指輪』の順位は『円盤』『ライブ』『映画』等々よりもはるかに低かった。もし買ったとしてもすぐにしまい込まれる未来しか見えないものに価値を見いだすことが出来なかった。

そういう理由でわたしは結婚指輪はいらなかったし、幸いなことに結婚相手も特別必要だと考えていないようだった。結婚することが決まり、さて指輪はどうするかという話をしなかったわけではないが、結局我々は指輪を選びに行くことすらしなかった。

ちなみにほぼ同じ理由で結婚式もしていない。親族との話し合いで「写真くらいは残した方がいい」と言われ、それで納得してもらえるならと写真だけは撮ったが、写真を撮るだけでもそれなりの費用がかかったことに加え準備段階での精神的疲労もあったので、「こんなんで結婚式とかしたら金銭面をはじめ色々な意味で死ぬ……やはりわたしにはムリだった……」と改めて思った。

 

山里さんと蒼井さんの結婚会見に話を戻す。

前述した背景があり、「指輪よりも経験を買いたい」と話した蒼井さんの、結婚指輪の価値を別の何かと天秤にかける発想に共感した。

結婚指輪より価値のあるものってなんだろう。

たとえばわたしは、昨年から結婚相手をコンサートに連れて行くようになった。自宅で録画した番組やコンサート映像を一緒に見る機会が増え、好意的な感想も聞くようになったので、試しに誘ったら「1回くらいなら全然いいよ」と言われたので連れて行った。自分がキャーとかギャーとか叫んでいる横でぼんやり見ていたので「連れてこない方がよかったか……?」と心配したが、公演後に「○○が自分の方を見てくれた気がする!」とオタクにありがちな「ファンサもらった気がする」発言をしていて、「コイツ、それなりにオタクの素質あるのでは」と心の中でガッツポーズをした。

指輪よりもそういう体験の方が、自分にとっては価値がある。オタク友達とあれこれ感想を言い合うのとはまた違う、少し引いた視点から語られる新鮮さと面白さがある。

 

そもそもわたしは結婚願望が希薄だったにも関わらず結婚した人間なので、自分のように「結婚指輪いらなくない?」とひねくれた考えを持つのはもしかするとレアケースかもしれないが、結婚指輪でなくても「何に自分は投資したがっているのか」と機会ごとに考えることは大切だと思う。もちろんオタクでなくとも大切だが、オタクにとってはより重要性が増す。億万長者でもない限り、あれもこれも欲しがれば財布があっという間にスカスカになってしまう。

我慢はしなくていい。恋心に素直に従って全力ダッシュすることが、オタクの甘美な喜びとなることは身をもって知っている。でも、周りに左右されず自分が欲しているものを見極めるシビアな目をちょっとずつ鍛えていた方が、たぶん長く健やかに推しを応援できる気もするのだ。