ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

青春を捧げたひとよ生まれてきてくれてありがとう

関ジャニ∞『47』を見ながらこの文章を書いています。実家に住んでいた時、地元の講演に平日で学校もあったのに早退して行ったなあ、などと思いを馳せています。

47 [DVD]

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今日11月3日は関ジャニ∞のメンバーの一人であり過去に担当をしていた、錦戸亮の生まれた日です。ここ1ヶ月ほどで転がり落ちるようにジャニオタに出戻りするにあたり、彼の担当を名乗り続けた7年間がわたしに与えた影響の大きさを突きつけられました。

錦戸担をしていた過去の自分にとって、錦戸亮は神さまでした。アイドルとファンは一宗教の教祖と信者のようだと言えば、“宗教”の外側にいる人でもなんとなく納得してもらえると思いますし、内側にいたわたしですらそう思います。例え一ページでも掲載される雑誌は出来る限り発売日に購入し、そのビジュアルに一喜一憂し、インタビューで知る些細な情報に心を躍らせていました。テレビやコンサートDVDに映る彼を見ては、切り取りたくなるような一瞬の表情や仕草を血眼で探し、一方で多忙で擦り切れそうになっている彼の身を案じることもありました。

そのような時期には想像も及びませんでしたが、錦戸担を名乗り始めてから7年ほど経過した頃、わたしはいつの間にか錦戸担ではなくなっていました。明快なきっかけがあったわけではなく、徐々に様々な刊行物や映像作品に食指が動かなくなりました。アイドルにまつわるあれこれに対して金額によらずお金を落とそうという気持ちにならないというのは、ファンにとっては応援する気が無いも同然のこと。自身の過去の熱量が信じられなくなるほどになっていた当時の私は、どんなことでも終わりはやってくるものだと、月並みな感情を抱いていました。

しかし終わりは同時に始まりも意味していたのだと、今では思わずにはいられません。担当であった過去は一生解けない呪いのようにわたしの中に残りました。そして長らく身を潜めていたその呪いは、今年じわじわと表在化してきました。

今年の夏、錦戸亮の特集記事が載った雑誌が安売りされているのを本屋で偶然見かけ、買わずにはいられない衝動に駆られました*1。それは100円というあまりに手の届きやすい値段だったからというのもあったけど、良い写りだと思える写真が数ページに渡って載っているのに100円の価値しかつかないとは何事だという怒りに近い感情が確実に生まれていました。結局、ひとまず冷静になろうと思ったわたしは雑誌を手に取ることなくその場を去りました。またあの本屋に行った時にあの雑誌が売られていたら買おうと決め、一週間後に同じ本屋へ足を運びました。まだ雑誌は売れ残っていました、それも一冊でなく複数冊。わたしはすぐさまそのうちの一冊を手に取りレジへ向かいました。いっそ全部買い占めてしまえばよかったという考えが頭をよぎりましたが、流石にそれは理性によってストップをかけられました。しかしこの一件はわたしにとってなかなか大きな出来事でした。錦戸担を名乗らなくなってから初めて、錦戸亮が載っているからという理由で商品を購入した瞬間だったからです。よもやあの男にまた踊らされる日が来るとは。戸惑いと嬉しさの波が同時に押し寄せてくるような感覚でした。

そして今秋よりジャニーズWESTの沼に足を踏み入れたわたしですが、7人の中で自分は誰の担当なのかということを考える際にも錦戸亮の存在に踊らされることとなりました。前の記事にも書いたように、初めのうちは錦戸担時代からB.A.D.に馴染みのあったこともあり、中間担を名乗ることにしました。 

しかしその一方で、わたしの目を度々惹きつける重岡大毅の存在を見過ごすことが出来なくなっていきました。それは彼のふとした表情や動きにはっとさせられる時、わたしの中で少なからず「錦戸亮に、似ている…?」という思いが生まれていたからです。賛同を得られるのかどうかは分からないけど、特に静止画よりも動画で重岡くんを見る際にそのような気持ちになることが多かったです。

しかし錦戸亮に似ている(と自分では思ってしまう)重岡くんが、わたしの中で絶対に錦戸亮を越えられないという確信がありました。それは先に話したように、過去の自分にとって錦戸亮という存在が神さまのごとく絶対的存在であり、担当ではなくなった現在に至ってもその影は色濃く残り続けていることを知っているから。応援するなら成る丈沢山の熱量をもって挑みたいのに、昔の影を引きずりながら新しいものを見ることはどうしても限界があるのではと考えました。

そのようなことを結構真剣に考えた結果、中間担から重岡担へと、いわゆる担降りをすることを決めました。別に掛け持ちでいいのではという話なのですが、わたしは同率一位というものに耐えられない性格のようです。

重岡くんに錦戸亮の面影を感じることはほんの瞬間瞬間でしかないながらも、そこを見逃すことが出来ないくらいに錦戸亮の存在は大きいものでした。過去の根深さを自覚しつつ、重岡大毅の大半を占める錦戸亮と似ていない部分に存分に目を向け、気持ちが続く限り応援していければという所存です。

話が逸れすぎて何を言いたかったのか忘れそうになったけど、錦戸さん31歳の誕生日おめでとうございます。めっちゃすきでした。