ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

アイドルを『応援』するということ

 

上記記事を読んで、アイドルを『応援』するとは一体何なのか、という話について自分の考えを書き記しておきたいと思った。ということで、記事を引用させて頂きながら綴っていきたいと思う。 

 

ファンは何もできない、アイドルは何も言わない

一般人のファンというものには、なーんにもわからないし、いざというときは本当になーーーんにもできないのであった。ファンってまじでなーーーんにもできないんだなあ、とぼんやりする。

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ファンの無力さについては、私もずっと前から事あるごとに感じていた。いくら現場に足しげく通っても、同じCDを複数枚買っても、結局好きな人たちについての立ち入った部分を知ることは出来ないし介入出来ない。不毛な片思いをしているようで、とてつもなく空しい気持ちにさらされることがある。一時の感情の高ぶりがそれを安々と凌駕してしまうから、アイドルを好きでいることはやめられないのだけど。

アイドルというのは、多分本音を言うことなどできない仕事だと思う。大体仕事ってそういうものにしても、こんなに大勢のファンに対して、常にファンを喜ばせないといけないというプレッシャーのなかで、本音など多分どこにも出てくる隙はない。その意味では、私はアイドル自身が語る言葉を信じていない。常に「ファン」を意識した発言は、多分100%ウソというわけではないが、多分本当でもないと思う。だからアイドル本人が「大丈夫」と言ったって私は信じない。

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そして、アイドルの口から聞ける言葉は、多かれ少なかれビジネストークであることは間違いない。むしろファンを喜ばせるための言葉やリアクションが出来ないということは、アイドルとしての役目を全うしていないとも言える。それでもファンは本当とウソの比率の分からない言動を、自身の肥やしとすべくありがたく享受する。

 

『応援』の意味するところは

ざっくり言ってしまえば、ファンは無力だし、アイドルの言動は真実と虚構の中間体。それでもわたしはアイドルの仕事に対して、微力ながら主に金銭によってその対価を支払いたいと思っている。それ自体、『応援』として捉えられる行動だと思う。

その行動の原動力について更に掘り下げてみると、『信仰心』『感謝』『申し訳なさ』の入り混じった感情がわたしの中には存在している。わたしにとってアイドルは、薄暗い世界に輝きをもたらしてくれる天使や神様みたいなものだ。

「わたしの心に神さまを住まわせてくれてありがとうございます、大好きなあなたたちを勝手に神様のようにしてごめんなさい、でもいつまでも神様然としていられるように願っています、ずっときらきらの膜を纏って世界を明るく照らしてくれますように」

わたしの好きな言葉の一つに「愛は祈りだ」という言葉がある。舞城王太郎さんの『好き好き大好き超愛してる』の冒頭一文目で圧倒的な存在感を放つ言葉だ。アイドルを応援することも、そこに近い感情のような気がする。『応援』は身勝手だけど切実なファンの祈りだ。

 

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

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