ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

茶の間でも、生きてていい?

 

昨年9月から、意を決して5年振りに『ジャニオタ』の名札を再び胸に掲げてみることにした。しかし、非常に便利なのでジャニオタという名札を使ってはいるものの、心の中では「いや言うほどオタじゃないんですけど……」と謙遜してしまう自分もいる。

 この記事でも書かれてあるように、ジャニオタであるか否かの一つの境界線としてコンサートに行く人・行かない人という見方があると思う。それで言うと、わたしは後者であり『ジャニオタ』ではない。ジャニオタに出戻る前に7年間錦戸担を名乗っていたにも関わらず、これまでに入ったコンサートの公演数はたったの3回だ。

コンサートにほとんど行けなかったのは、会場となり得る規模の施設にアクセスの悪い地方に住んでいたことと、経済的に制限のある学生だったことの二つが理由として大きい。引用記事に出てくる『地方の中高生』はまさにわたしで、現場に足を運ぶことは難しかったがメディアや雑誌は一生懸命追っていた。それがアイドルを好きな者としてできる最大級の活動だった。コンサートとは聖地であり、コンサートに行けることは奇跡以外の何物でもなかった。

初めてコンサートに行けることになったのは、ジャニーズに興味を持ち出して4年が過ぎようとしていた頃だった。2007年、関ジャニ∞がジャニーズ初となる47都道府県ツアーで、座席数2000人にも満たない地元の県民会館を会場とした公演を行った時だった。

「本当に、いる」

そこでようやく、関ジャニ∞というグループ、そして錦戸亮という一個人が、確かにこの世に存在していることを認識した。爆音とともに赤い特攻服に身を包み登場するメンバー、それと同時に一気に湧きあがる客席からの歓声の中、わたしは泣いていた。それまではテレビや誌面の向こうにしか存在していなかった人間が、数メートル先で歌い、踊り、観客を煽っている。それが只々信じられなかった。狭い会場で大勢の人に囲まれているはずなのに、何故か内心では、だだっ広い空間に一人呆然と立ち尽くして彼らを見ている気分だった。涙はしばらく止まらなかったが、彼らに応えなければという一心で、出せるだけの声を精一杯上げていた。

 

わたしはきっと、好きな人を一秒でも長く視界に留めたり、一度でも多く同じ熱を体感したりするために、全国を飛び回ることは出来ない。今後誰を好きになっても、過去の自らの熱量を超えていける気はしないし、それ位がむしろ丁度いいのだと既に納得してしまってもいる。初めて行ったコンサートと同じように、たまに存在を確認して、その度に思い切り号泣するくらいの方が、ずっと地方で茶の間として生きてきた人間には合っているのかもしれない。

明快な線引きをしたがった挙句、『ジャニオタ』じゃない自分にアイドルを好きでいる資格は無いと深刻に考えてしまうこともあった。だがオタクはカースト制度によって成立している人種ではない。

唐突ながら、ベストセラーとなった『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』の中にはこのような一節がある。

「優越性の追求」というと、他者より優れていようとする欲求、他者を蹴落としてまで上に昇ろうとする欲求のように思われがちです。人々を押しのけながら階段を登っていくようなイメージですね。もちろんアドラーはそんな態度を肯定しているのではありません。そうではなく、同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。そんな姿をイメージしてください。進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うけれども、みんな等しく平らな場所を歩んでいる

 ジャニオタ皆兄弟というわけにはいかないかもしれないが、あくまで上下でなく同じ地平に立っているということは、心に留めておきたい。これからも『ジャニオタ』の名札は外さないまま、のんびりと応援していきたい。