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ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

きみは最高で最強の当て馬―映画『溺れるナイフ』を見てきました―

 


『溺れるナイフ』本予告

本日2016年11月5日公開の映画『溺れるナイフ』を見てきた。重岡担の皆さんは試写会の感想やら解禁映像やらかいつまんで提供される情報を手に入れる度、ずうっとそわそわしていたと思う。もちろんわたしもその一人。関係者向けの試写会に行ったであろう非ジャニオタの方が重岡くんを絶賛している時なんて、最高にもどかしくて最高に誇らしかった。例えばこれとか。

 ようやくそのそわそわから解き放たれた今日。ひとりで映画館の最後列を予約して、ホットコーヒー片手に2時間の時を過ごした。エンドロールまではあっという間だった。映画を見終えて映画館を出る時のわたしは放心状態に近くて、足元がどこかふわふわしていた。

以下あれこれ書いているのですが、映画『溺れるナイフ』を皆さん是非見て下さい!!!超オススメ!!!とおおっぴらにお勧めする気持ちは湧いてこない。重岡くんの仕事っぷりが沢山の人の目に触れてくれるのはとてもありがたいことだけど、誰にも言わず隠しておきたくなるような密度の高い空気感もある。

でも少しでも気になっている人は、どんな理由でも構わないので見に行ってみて下さい。上映後、ひとりで見てよかったと思ったのと同時に、誰かとこの映画を見てすぐに手近なカフェにでも入ってめちゃくちゃに感想を言い合いたいとも思った。だからせめてこの映画についての色んな人の感想をインターネットの海から拾い上げてみたいです。

ということでここからはネタバレ含む感想を書き残しておきたいので、何も知らないまっさらな状態で映画を見たいですと言う方は見ないことをおすすめします。重岡担なので大友の話に偏りがちなのはご容赦いただければと。重岡くんが大友役として選ばれたことにただひたすらに感謝しながら今夜は眠るつもりです。

【2016/11/6ネタバレじゃない追記】

昨日ブログを書いてから思ったこと。

前評判を受けて “重岡担として”溺れる覚悟をして臨んだ割には、予想外にも重岡くんがかっこよすぎてツライヨーとはならなかった自分に驚いている。いや、もちろん大友の登場シーンを全て切り取って一気に流せば間違いなく大友に惚れたくなると思うのですが。思うに、夏芽を中心に回る映画だったからあくまで大友は当て馬としてしか見られなくて、コウちゃんに執着する夏芽の気持ちにそれなりに共感していたのでは、と。

 

 

 

  

まず、結構初めから大友が出るんだ!という驚き。もっとコウと夏芽の出会いがゆっくり描かれるのかと思っていたので、大友の教室での初登場シーンでは全然気持ちの準備が出来ていなかった。でも流石にみんな中学生には見えない、かな?夏芽は髪型のせいか許容できた。

映画雑誌等で見聞きしていた通り、コウと夏芽のシーンは爆発する感情の往来だし、大友と夏芽のシーンは包み込まれるように優しい。でも大友とくっついた方が幸せなのに……なんて安直なことは言えない。神のように眩いコウとの出会いはちょっと特別だけど普通の乙女である夏芽にとっては一生ものだったはず。閃光で体を射抜かれたような感覚は夏芽本人しか知り得ない。

個人的な話をすると、映画を見る中で三度涙を流した。

一つ目は野球場で大友が夏芽に話しかけるシーン。正しい台詞を失念したけど、「コウと夏芽は特別な二人だった」とさらりと言ってしまう大友を見たらじんわり涙が溢れた。中学時代の、コウが欠席した時や夏芽の実家が経営する旅館へ大友が魚を届けに来た時のシーンを見れば、大友の夏芽に対する気持ちは誰だって一発で分かる。それにも関わらず、恋心を抱く女の子と親友の男の子を特別な二人と言ってしまう大友は、一体どんな思いでずっと二人を見てきたのかと考えると、大友の優しさが如実に描かれるシーンということもありひと際切なくて胸が苦しかった。

二つ目はカラオケのシーン。あれは泣くしかないでしょう(強要する気は無論ないのですが)。友だちでええんじゃと口で言いながらも必死で堪えようとしていた夏芽への恋心がようやく叶ったと思ったら、急に夏芽から東京での芸能活動再会を理由に別れを告げられてしまう大友。あそこで押し倒すことが出来たのであれば、そのまま無理やりキスすることも、もっと言えば襲ってしまうことだって出来たはず(襲うのはあの事件を思えば出来ないことではあろうけど)。それなのにしなかった。夏芽を押し倒し、俺じゃダメなんか、俺が笑わせちゃるけえと言ったのも束の間、すぐさま座りなおして別れ話を切り出される前と同じようにカラオケの転送機器をいじり始める。予約した曲は『おら東京さ行ぐだ』。大友からの夏芽へのエール。「一番だけ使われるかと思ったらまさかのフルコーラスとは」という重岡くんのコメントが雑誌で散見されたが、あれを使わずして何を使うのだ。最初から最後までまるっと映像に収めてくれた山戸監督には感謝してもしきれない。わたしが一番もう一度見たいと思うのはあの数分間です。

三つ目はラストのバイク二人乗りのシーン(大友は関係ないけど)。正直映画の途中途中で、場面場面のつながりが見えにくくて展開が速すぎると感じることが度々あったので、重岡担として映画を見に来たので欲目があるけど作品としてはどう評価されるんだろう……と不安になっていた。でも、最後のバイクのシーンが夏芽の夢見る幻のように描かれていたように、夏芽が浮雲に越してきてから東京に再び戻るまでの数年間は、それほど幻のようにあっという間に過ぎ去ってしまったものだったのだろうという考えが浮かんでからは、展開のスピード感にも納得がいった。むしろ浮雲での生活がみんな夏芽の夢想であればいいとすら思った。そうすれば夏芽は色んなことを抱え込まない、もっと普通の女の子でいられたのかもしれないのに。

 

【2016/11/6ネタバレ追記】

 上述したように、展開が速すぎると感じることが度々あった。ネットで他の人の感想を見てみてもそのように言っている人がちらほら見受けられた。一方、2度ある火祭りのシーンはどちらも結構な尺を費やしている。

一回目の火祭りではコウの不在にも関わらず、村の男性たちによる舞の場面が延々と続くのにははじめ疑問符が浮かんでいた。夏芽の身に迫る危険にもう少し注目させればいいのでは?と思った。反対に二回目の火祭りでは男性陣というよりもコウの舞にフォーカスされた映像がしばらく続く。それと並行して夏芽がコウちゃんコウちゃんと呟きながら夢だと思いたかった記憶を徐々に取り戻してゆく。

ここでコウと夏芽の状況を見てみると、一回目の火祭りだとコウは持っていた火を捨てて夏芽を探し求めて真っ暗闇の山中を走り回った挙句、夏芽を助けることはできない。泣き崩れているだけのコウを見て間一髪助けられた夏芽は失望の念を抱く。夏芽にとっての唯一無二の“神さん”の墜落。

そして一年経った二回目の火祭り。コウはけして清くも正しくもない手段で夏芽を救い出す。止めに入ったカナを押し退けてでも、夏芽が求めたからコウは助けた。あの日は夏芽にとっての“神さん”の復活の日。もう二度と墜落しないという誓いを身を以てコウが夏芽に証明した日。

こうして振り返ると、コウの気高さの象徴が火祭りの燃え盛る炎だったと解釈すれば、火祭りの場面に使われた時間の長さにも一応納得はいく。二回目の火祭りの場面以降、コウが出てくるのは夏芽の想像の世界(と解釈しているけど間違ってたらすみません)だけ。浮雲を離れてからは夏芽とコウが再会していないと考えると、夏芽の精神にコウちゃんという“神さん”が宿った決定的瞬間が二回目の火祭りの場面だったのだろう。


映画『溺れるナイフ』主題歌「コミック・ジェネレイション」(ドレスコーズ)ショートMV

あと、主題歌であるドレスコーズ『コミック・ジェネレイション』の映画に反するかのように軽快な音楽が頭から離れないので歌詞を見たのですが、毛皮のマリーズ時代に作った曲の再録とは思えないほどの歌詞のぴったりさ。毛皮のマリーズとして歌ったものも聴いたけど、再録してもらえてよかった。荒々しさが抜けてパフォーマンス性が失われた分、歌詞がすっと通ってくるようになり、歌っている志磨さん本人も言うように“夏芽とコウちゃんのためだけ”の音楽に生まれ変わっている。

ドレスコーズが毛皮のマリーズの楽曲を再録音!映画「溺れるナイフ」主題歌 - 音楽ナタリー