ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

横尾渉さんの10000字インタビューを読んだ話

横尾さんの10000字インタビューを読みました。Kis-My-Ft2『裸の時代』に掲載された1回目のインタビュー、2016年11月号Myojoに掲載された2回目のインタビューの両方です。前々から読もうとは思っていたけど、度々聞こえてくる評判の中に荒れたやら炎上やら物騒な言葉が飛び交っていたので、横尾さんのことをきちんと知る覚悟を持ってから読もうと決めていましたが、先日のアリーナツアーでようやく覚悟が出来たので、満を持して読みました。

 

1度目の10000字インタビューは衝撃の連続

―以前から「僕のインタビューは、いつですか?」って、すごく気にしてたよね。
「話したかったことがあるんで」

冒頭から「えっ?なになに?」と思わせる横尾さんの回答。しかしその後、お兄さんとの話やJr.に入ったばかりの話等、悲しかった思い出が淡々と語られていく。そしてJr.時代に早いうちからユニットを組んで活動していた横尾さんがNEWSのデビューを目の当たりにした時のことを語る場面。

―NEWSが結成されたときは、どう思ったの?
「あのころバレーボールの大会に合わせて新しいグループがデビューしてたんで、“今度は誰だ?”って空気があって。K.K.Kityのメンバーは入るってウワサもあったんです」

―でも、横尾君は入らなかった。
「発表の1週間前くらいに、俺は結果を知ってたんですよね。小山から聞いてたんで」

 この箇所を読んでから、錦戸担時代の名残でたまたま手元にあったNEWSの1stDVD『NEWSニッポン0304』を見ました。NEWSのバックとしてダンスしたりローラーで滑ったりする横尾さんが映像として残っています。

そして今のキスマイの前身のグループができ、やがてKis-My-Ft2が出来た時の話。

―その後、Kis-My-Ft.のメンバーになったよね。
「藤ヶ谷とは前から仲がよかったんですよね。でも、他のメンバーは見下してました。“俺、ついこの前までK.K.Kityですよ”って。で、スタッフさんから、“NEWSのバックは絶対させない”って言われてたんです。でも、1年後にはバックだった。最近まで隣にいた人の後ろで踊る。結局、こういうことになるんだって。期待したり、夢見たりしても、簡単に壊れるんだって」

Kis-My-Ft2が結成されたときは、どう思った?
「藤ヶ谷以外は、マジで大っ嫌いでした。メンバー、仲間なんて意識じゃなかったです」

デビュー決定が決まった瞬間も、純粋に喜んではいなかった横尾さん。

―悩んでること、苦しんでること、全部わかってたんだろうね。
「そうですね。だけど、うれしさの次に、“これでいいの?この流れに乗って本当にいいの?”って想いも浮かんで。本当はメンバーに入っていなかったんだぞ。もう少しでNEWSのときといっしょだったんだぞって。あのときのことが、めちゃくちゃフラッシュバックしました。いいのか、俺、このまま列車に乗って。決めなきゃ、もう列車が動き出すぞって」

ずっとやめた方がいいのか続けた方がいいのか自分で決めることができずに来るところまで来てしまった横尾さんは、結果としてこの後もKis-My-Ft2のメンバーとして列車に乗り続けることになる。

このように、ロングインタビューと言えどアイドル雑誌の数ページを占めるだけの記事で重い内容の話を告白してきた横尾さん。

―それが、最初に言った“話したかったこと”?
「はい。言いたいこと言って、自分だけラクになろうとしてるだけって映る人もいると思います。でも、この後悔を、俺はずっと背負って生きていこうと思います。ファンの方に、メンバーに、一度、ちゃんと話さなきゃって思ってました。全部話して“ゴメンなさい”って謝罪してから、初めて踏み出せる一歩がある気がして。このインタビューをよんでも、わだかまりが消えないメンバーもいると思う。ショックを受けるファンもいると思います。こんな気持ちのヤツを応援してたのかって。途中で去っていった人もいると思う。本当に申し訳ないことしたなって。こんな謝罪で、過去を消せるはずない。それでも、ゴメンって伝えたかったんです」

終始批判されてもおかしくない話をした横尾さんに対し、『裸の時代』の第2回キスマイ飯会で兄組の2人が話していた言葉があたたかくて優しい。

北山「横尾さんは、つくづく不器用すぎなんだっつーの。でも、まあいいんじゃん。すっきりしたっしょ。」

藤ヶ谷「(中略)それにしても、渉は自分を言葉で表すの下手すぎ。あと、俺のこと語りすぎ(笑)。相談があると、いつも電話がかかってくるし。すげーめんどくさい。」

この言葉を聞いた横尾さんが、少しでも「あの時話してよかった」と救いに似た気持ちを持ってくれていたらと願わずにはいられませんでした。

 

約3年半後、2度目の10000字インタビュー

月日は流れ2016年。Myojo連載至上、最高クラスの反響だったという前回の横尾さんのインタビュー(Myojo掲載は2013年5月号)の話題から始まります。

―ファンからの反応もかなりあったんじゃない?
「隠さず言っちゃいますけど、すごかったっす、手紙とか。“裏切り者”、“ファンやめます”、“ジャニーズなめんな”的なことがほとんどで。“私も変わってみようと思いました”って内容の手紙が少しだけですけどありました」

―前回の発言、後悔してる?
「正直、離れていった人も多いと思うんです。ただ、その覚悟もあって。取り戻せるようにがんばろうって決めたから話したんで。ありがたいことに、今キスマイはお仕事をたくさんいただいているので、一生懸命やっている姿を見せて、少しでも戻ってきてもらえたらと。もちろん、これから僕がやらなければいけないことは多いですし、お返しもまだまだできていないですけど。でも、後悔はないです」

腹を決めて過去を語った前回のインタビューからも伺えるように、「デビューからいちばん変わったのは横尾さんじゃないか」と複数のメンバーから評価されている横尾さん。自分の歌やダンス、トークの出来なさを自覚しながらも、周囲から求められるしっかり者キャラとの解離に苦しんでいた横尾さんが変わったきっかけについての話に。

―(かつてコンプレックスの塊だったはず)なのに変われたのは?
「中居さんのひとことですよね。中居さんが番組で、歌がヘタな僕を“師匠”って呼んでくれた。あの瞬間、あのひとことで、僕は変わった」

―たったひとことで?
「はい。それまでの、しっかりしていたお母さんキャラから、何もできないポンコツなキャラにパンッて変われた。頑なに守りつづけていた殻が割れたんですよね。“もう虚勢を張らなくていいんだ”って。師匠と呼ばれた瞬間に」

 

自分なりに調べた結果、上記ツイートの結論に至り当時の映像を見てみました。流れとしては、二階堂さんが歌唱中に音をハズし気味だった理由を自分の前に歌っていた横尾さんにつられたからだと言い始め、他の出演者からも「横尾さんだぁ」という空気が流れる中での中居さんの発言でした。

「師匠は師匠でも師匠の中では(それなりに歌えていた)!」

すると横尾さんもその流れに便乗。

「師匠は、元気と勇気と自信で元気満々に歌ってたから!」

即座に一人称を「師匠」と言った横尾さんを見て、こんな風にすぐさま一人称を変えてしまう人だっけ?と思いました(もしそうだったらごめんなさい)。映像として残ったこの瞬間かどうかまでは本人だけが知ることだけど、間違いなくここが吹っ切れるきっかけになったんだろうと思わせてくれる映像でした。

そして話は動物や料理についてのことやメンバーについてのことへと移り、最後に今後の自分やグループについての話に。

―なるほど。そんな横尾くんにとって、Kis-My-Ft2って何?
「操り人形かな」

―待った、待った!最後にどんな爆弾!?今回は炎上させたくないよ…。
「たぶん大丈夫。いまはまだ操り人形だけど、この先人間になれるかの境ってことで。わかんないかなあ?」

―わかんないよ。その説明、不安しかない。
「なんていうか、デビュー5年目の今って、新人のままでいるか、その先のステージに行けるかのわかれ目だと思ってて。僕らの積み重ねてきたものや、結果が、いよいよ判断される時期だと思う。(中略)ただ、スタッフさんろの打ち合わせで、すべて“イエス”と答えるんじゃなくて、生意気に映るかもしれないけど、ちゃんと自己主張しなければいけない時期がきてるんだと思うんですよね。(中略)自分たちの意思を持って、発信して、自分たちのカラーを自分たちで打ち出す。操縦桿を、メンバー自身が握る」

最後の最後にインタビュアーをはらはらさせる横尾さん。やはり前回インタビューと変わらず、不器用でいまいち表現が上手くない横尾渉は健在。でも心なしか、前回よりも不安定さが薄れ、もう少しこの人がどうなっていくのかを見ていこう、信用してみようと思えるインタビューだった。

おわりに

きっかけさえあれば、チャンスを逃さなければ、いつだって人は変わることができるのだと、2度のインタビューを通して横尾さんは教えてくれている。けして身近ではない世界の人なのに、どこか弱い自分を投影したくなる横尾さんの人柄は、きっと誰かを救ってくれると信じてるし、事実自分が落ちた時に救われている。ここで何を言っても無駄だけど、もっと自信を持って前を見てほしい。どんなに強い風が吹いても堂々としている姿をファンは見たいと願っているはずだから。