ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

ナゴヤドームの天井席、星になってきみを抱きしめた

 

およそ1週間前の6月15日、わたしは普段生活する関東を離れ名古屋にいた。Kis-My-Ft2のドームツアーの名古屋公演に行くためだ。

その日は空の具合が悪かった。ずっとどんよりとしていた曇り空から、開場時間くらいに突然どしゃぶりの雨が降り出して、全身をじっとり濡らされた状態で会場に到着した。履いていたスニーカーの中に水がしみ込んで気持ち悪かった。

 

ナゴヤドームの2ゲートでデジタルチケットのQRコードを読み取って出てきた用紙には「5階」と書かれていた。これまで全国各地のドームに足を運んできたが、2階か3階くらいまでしか階についての表記を見たことがなかったので、「5……5?」と目を丸くした。

ともあれチケットの表記に従い席を探すと、そこは『天井席』だった。わたしは会場で最も高い位置にある席を「ご用意」されたのであった。当然ながら席について後ろを振り返っても壁しかない。一方下を見れば人、人、人。その先にこれから主役が立つステージがあった。

「ここなら演者から視認されることはまずないだろうし、逆にこちらも誰が誰なのか一目でぱっと判別できない、銀テープも飛んでこない。好きなようにペンライトを振って、必要時はガッツリ双眼鏡を覗かせてもらおう、レーザーが綺麗に見えるだろうなあ、ふふ」

席が分かった瞬間、コンサートに対するいくつかの期待をばっさり刈り取られ、開演前から気分はすっかり吹っ切れていた。

「わたしは名古屋に何をしに来た?」「コンサートを『楽しみに』来たんだよ」

心の中でそんなやり取りが交わされていた。むしろいつもと違う高揚感すらあった。

 

そんな心もちで始まったコンサート。シンプルに、気持ちがよかった。「コンサートって楽しい、楽しいなあ!」と心の底から思った。

後ろを気にせずペンライトを半ば突き上げるようにしながら振ること。緑や紫の素早い光線の動きをじっと見つめてうっとりすること。一緒に踊ることのできる振りの曲を全力で踊ってみせること。何なら主役ではなくジュニアの子たちの振りを真似してしまうこと。

周囲に迷惑をかけないようにしつつも、後ろに誰もいない、というだけである種の開放感があった。

 

メンバーの立ち位置に合わせて綺麗に分かれる7色のペンライトを、最も眺めのよい場所から見られたことに感謝した。壮観な景色だった。たとえ頭で美しいことを知っていても、何度でも美しいと思ってしまう光景だと思う。

瞬間、ドーム内のてっぺんから会場全体を俯瞰した画がふと浮かんだ。メインステージを除いてアーチをかたどる7色の海。そのはじっこを何倍もズームしたところにぽつんと自分がいる。自分がこの会場をつくるパーツとして動いている感覚が、ざあっと波のように押し寄せてきた。

「今この瞬間、わたしはドームの一部なんだ」

幸福な空間の構成員として機能している自分が、どこか誇らしく思えた。

 

公演が終わり会場を出る時も、残念ながら来た時と同じように雨が降っていた。風も強く、傘を差してもほとんど役に立たないような荒れ模様だった。少しはよそ者に親切にしてくれたっていいじゃないか、とこっそり悪態をついて駅までの道を急いだ。

それでも気分がよかった。コンサートの後って、こんな感じだったかな。風に持っていかれないように傘を握りしめながら心の中で自身に問いかける。興奮しすぎて何から喋ればいいか分からなくて語彙力喪失、みたいな感じではなく、羽が生えて少し身軽になったような、終演後にあまり感じた覚えのないふわっとした感覚に包まれていた。

 

担当が何をしているのか常にこの目で追いかけたい。銀テープを取って帰りたい。近くに来てこっちを見てほしい。話したことを聞き逃したくない。

コンサートに臨むにあたり、自分も含めそこに集まる人たちはきっと様々なものを求めて会場へ向かう。欲は自然発生的なものなので、それを抱えることは悪いことでも何でもない。そして「好き」は身勝手な欲をごちゃまぜにしたものだから、実際にただ「楽しい」とだけ思うことは、好意の対象を目の前にするとかなり難しいと思う。

それでも確かにあの日、ナゴヤドームの天井席で、まっさらな「楽しい」と対面して抱きしめることができた気がする。その事実を、羽毛のような幸福を、わたしはこの先何度でも思い返したい。