ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

人生は素晴らしいらしい

 

「重岡くんになりたい。」

何故か今日は一日中、その言葉がずっと脳内で繰り返し響いていた。芦屋こみねさん (id:ashiyakomine) のブログを読んだ影響が大きいかもしれない。あと、こみねさんつながりで、昨年12月の『生まれ変わったら中島健人になりたい』というブログタイトルが個人的に強烈に胸に刻まれていたから、二つが化学反応を起こし続けていたんだと思う。

分かっているのだ。わたしは重岡くんになれないし、別になりたくもないということも。あんなに生きるエネルギーに満ち溢れた表情は自分には到底出来ない。どういう道を歩んできたら現在進行形であの表情が出来るんだろう。アイドルという職業と、重岡くん自身の人間性が絶妙にマッチした結果なのかな。そうだとしたら、アイドルって素敵な職業だ。つらいアピールをしている印象を持たれるのを好まないだろうから、裏側のくるしみとかつらさとかはできるだけこちらに見せないように頑張っているだろう。だから重岡くんの抱え込んでいるマイナスなあれこれなんて全然分からないけど、重岡くんにアイドルという職業を与えてくれた神様がいるなら例え軽率だとしてもお礼を言いたい。

個人的にちょっと最近もやもやしていたので、この三連休の歌番組できらっきらの重岡くんを見たら自分がみじめになってしまった。泣き言や言い訳ばかり言いたくなってしまって、同じ場所をうろうろしているわたしに、テレビ画面に映る重岡くんが「しっかりせえ!」って訴えてきているように思えた。

以前ここで「アイドルが神さまじゃなくなった」という話を書いた。

お金をかけてまで応援しようと思うモチベーションも、昔と今では違う。錦戸さんを好きだった時は、「わたしにとっての偶像として存在するために頑張って下さい」という個人的な事情も含めた上で応援していた。重岡くんを好きな現在は、彼の望む場所へ行くための後押しをしたくて応援している気持ちが強い。もちろん、アイドルの言動が自分にとってもプラスに働くことに越したことはないし実際に生活に潤いを与えてもらってはいるのだが、そこはあくまでおまけという感じ。

アイドルの意味がいつの間にか変わっていた話 - ごねんぶりにどめの

この記事を書いた当時と同じ気持ちは今でも持っている。もっと高くて見晴らしのいい美しい場所に行ってくれと切に願っている。重岡くんにとっての理想郷にたどり着いてほしい。でも今はそれだけじゃない。自分に返ってくるプラス面がおまけとは言い難くなった。自己と対峙できる人間になりたいという気持ちが、重岡くんの存在によって増幅されている感覚がある。「重岡くんが頑張っているからわたしも頑張ろう」というのとは似ているようでちょっと違っていて、重岡くんの存在そのものに頬をひっぱたかれているイメージ。ぶたれて初めて、しっかり立たなきゃって考えになる。頭で考えてから行動するのではなくて、殴られてからようやく頭で考えている。

またもや軽率に行ってしまうけど、重岡くんはすごいんですよ。知らなくていいことは知らないまま美しく終わればいいって思ってるから、何にも分かってないんだろうけど、重岡大毅すげえっていつも思ってる。鬱々していても、ジャニーズWESTのセンターでぱっと花開く重岡くんを見たら、『人生は素晴らしい』って思ってもいいかなって気になってくる。何の違和感も持たずにそう思ってしまうくらいに、わたしの目には重岡くんは内側からエネルギーが漏れ出てぴかーって全身が発光しているように見えているんだけど、他の人の目にはどう映っているんだろうか。ファンの欲目と言われても構わないけど。