ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

担降りしたかもしれない

ここ数日、沢山の横尾担から横尾担になるに至った経緯や現在の自担に対する思いを伺い、現在の自分の気持ちを整理しようと思い書きましたが、ただただ長いです。

 

 

はじめに結論だけ言うと、

  • 重岡担と横尾担の掛け持ちという呼称をひと月ほど前に自身に課したものの、担当という言葉の便利さにあやかって便宜上重岡担を名乗ることはあっても、以前のように胸を張って重岡担とは言えなくなってきた

ということと、

  • 現時点の自分にとっては横尾さんが自分の考える『担当』の定義にいちばん近い存在になっていることを認めざるを得ない

ということ。つまりざっくり言うとこの記事はいわゆる『担降りブログ』です。ここで多くのジャニオタが一度は考えたことのある「担当とは何か」問題が始まってくるんだけど、自分の最近の動向や心理状態を顧みて『担当=いま最も興味深い対象』という仮説が今のところ有力になっている。

 

ここ一カ月の間に、横尾さんの誕生日があったりキスマイのコンサートに初参戦したりと、横尾さんに対する自分の感情を見直すイベントがいくつかあった。その度にこの場でその時その時の思いを書き殴ってきた。横尾さんの誕生日には「重岡担だけど横尾さんに全力で浮気している」と書いたし*1、アリーナツアー参戦後は「重岡担と横尾担の掛け持ちだと名乗る決心がついた」と書いた*2。短いスパンで変わっていく自分の気持ちに自分でもついていけないところがあって、まるで自分が嘘をついているように思えた。そんな深刻に考えるなよ!と一蹴したくなるが、自分にとっては誰が担当か、誰が今いちばん好きなのか、誰を今いちばん応援したいのか、という問題は自分で思っていたよりも重要な問題のようだった。

ふと、今の状態を過去にも経験していたことに気が付いた。アイドルに一切興味のなかった小学生のわたしを一瞬でジャニオタに変身させた錦戸さんから7年の担当生活を経てゆるやかに担降りしていった時だ。その時のエイトはというと、アルバム『∞UPPERS』を引っさげたドームコンサートを行っていて、その東京ドーム公演に一度だけ入った。申し込んだ時点で既に熱はかなり落ち着いていて、それから公演までの約2か月の間でさらに穏やかになっていた。そんな状態で参戦したエイトのコンサート後、当時のわたしはこんな感想をこっそりしたためている日記に綴っていた。

一言で言えば行ってよかった。正直今の中途半端な状態の自分が生の彼らを見ることにどれだけの価値があるのか若干迷いがあったけど、今回久しぶりに直にエイトの空気を感じることで自分の立ち位置を確認できたように思える。好きか嫌いか、の次元でなく単純に応援したい、もっと大きくなってほしい、成長していく様を見続けていたい、そんな思いがある。

自分で紡いだ言葉ながら、ここに答えがあるように思えた。

認めたくない気持ちがずっとあったせいで言葉にしたくなかったけど、横尾さんに興味を持ち出してからのこの数か月、その興味の高まりに伴って重岡くんへの熱量が目に見えて落ち着いてきた。ここ一、二か月は特にそうだ。昨年末に奇跡のような初ドームコンサートに行き、今年は新たな一面を見せながらも相変わらずの素晴らしい構成で魅了してきたアリーナツアーに足を運んでいたのに、その頃の自分が本当に存在していたのか疑問に思えてくる程になった。そこでもまた、自分が嘘つきのように思えてしまった。

じゃあ、自分にとって重岡くんは過去のものになったのかというとそうではない。今もすごく、すごく好きだ。だいっきゃんスマイルと濵田さんが称する満面の笑顔を見れば安心するし、不意に今まで見たことのない表情をするとどきりとさせられるし、幼稚園児のようにはしゃぐ姿をみて呆れながらも微笑ましくなる。

ただ、今の自分にとって最も興味深い対象ではなくなってしまったんだと事あるごとに思わされる。何様のつもりだという話をするが、今まさに勢いをつけ始めているジャニーズWESTにいちばんに興味を持てないというのは、本当に損をしていると思う。好意を損得で語るなよと思うけど、良い意味で「これからのジャニーズWESTは一体どうなっちゃうんだろう……」と常日頃考えているので、自分で自分のことを残念に思う。でも、いちばんに興味を持てないのは、どうしようもない心の動きとしか説明ができない。胸に手を当て耳をすませば、遅かれ早かれいずれ自分にバレる。自分の心を無視することはできない。

それでも、いちばんに好きかどうかという次元を飛び越えて、単純に応援したいしこれから成長していく様を見続けていきたい。かつて関ジャニ∞に感じたことを、今は重岡くんやジャニーズWESTに対して強く感じている。

  以前自身のツイッターで、錦戸担時代に買ったエイトの映像作品を見てこんなことを呟いた。これに当てはめて言うと、いちばん好きな人よりも興味深い人が突如として現れたことによって、結果的に“(かつていちばんに)好きだったもの”がまた一つ増えてしまったのが今の状態である。

こうして改めて文章にすると、後ろ髪を引かれるような思いが少なからずあることもまた事実だと痛感する。言い訳がましいが、どうしてたった半年足らずで自分がこうなってしまったんだと未だに不思議に思う。『道しるべ』発売イベントのハイタッチ会に行かずに横尾さんのビジュアルに撃ち落されていなければ*3、今ごろこんなことにはなっていなかったのだ。しかしながら、重岡くんに心を掻っ攫われていた過去は絶対に変わらない。宝箱を開けばいつでもきらきらしたものが手に入れられるというのは素晴らしいことだと思う。

そして今のわたしは、懲りずにまたいずれ宝箱にしまわれるものを構築しているのだろうとも思う。でも今までジャニーズのアイドルを好きになって後悔したことは一度もない。好意や興味、関心というエンジンを搭載してトップスピードで走り抜ける“今”の連続は、いつだって最高に気持ちがいい。少しバカになるくらいが丁度いいと思っている。バカみたいにトップスピードで駆け抜けてきてしまった結果、今のところ横尾さんへの興味が留まるところを知らないし、顔もスタイルも良すぎる抜群のコンディションの時はいっそ胸を一突きにして一思いにやってくれと本気で思う。自分でも信じられないくらいに横尾さんに熱のこもった視線を送っている。

今いちばんに好きなものと、かつていちばんに好きだったものがそれぞれ増えただけで、こんなに胸が締め付けられるものかと驚かされる。でも、自分には掛け持ちという概念がいまいちそぐわなかった。掛け持ちという言葉にどこか違和感が拭えないまま、とりあえず言ってみれば気持ちもついてくるかもしれないと思い「掛け持ちする」と宣言したが、やはりその違和感が完全に消えることはなかった。たとえ別路線の人を同時に好きになっても、複数人を同じ熱量で追いかけるだけの気力体力を持ち合わせていないせいで、同率一位という概念が自分の中に存在し得ないことを身を以て痛感した。

 

そして冒頭でも述べたように、現時点の自分にとっては横尾さんが自分の考える『担当』の定義にいちばん近い存在になっていて、既に重岡担と堂々と言える状態ではないことを、自分に言い聞かせるつもりでひたすら文章を書き連ねてきました。しかしここまで話しておきながら、重岡担からの横尾担ですと簡単に自称できない自分がいてうーーーんとなっているところもあって。たぶん担当という言葉のフランクさに横尾さんに対する気持ちがついて行っていない感覚がそうさせているんだと思うんですが、これも一つの担降りであることには変わりないと思い今の気持ちをまとめた次第です。

整理しきれていない文章に目を通して下さった方の親切さに感謝の念を込めて、わたしの担降りブログを終わりにしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*1:

*2:

*3:

横尾担の皆さまにお願いです

 

 

端的に言うとわたしが言いたいのは上記ツイートの内容です。

 

 本日広島でアリーナツアーが行われている最中、わたしは先日購入したI SCREAMのブルーレイを見ていました。そこでOP映像の横尾さんを目の当たりにし、舞祭組合宿振りに横尾さんの丸眼鏡大好きオタクであることを再認識していました。それ以降、感情が乱れすぎて横尾さんの一挙一動に悲鳴を上げたり泣きそうになったりしていたのですが、そこでふと、今横尾さんをでろでろに甘やかしている、もしくは過去に甘やかしていた横尾担の皆さんはどうやってそこに至ったんだろうという興味が湧いてきました。

 100%ただの興味で、どこかに公開するつもりもありません。はてなブログでもツイッター(@ab30_038)でもどこを介してでもいいので、横尾担になった経緯を話してもいいよという方がいましたらご連絡ください。

 先日このブログで重岡担との掛け持ち宣言をしたばかりなのに毎日横尾さんに関する諸々の事象に触れるたび天国と地獄を駆け回っている状況です。わたしを担降りさせるくらいの勢いで横尾さんについて語ってくれる人をお待ちしております。よろしくお願いします。

 

 

 

横尾渉さんの10000字インタビューを読んだ話

横尾さんの10000字インタビューを読みました。Kis-My-Ft2『裸の時代』に掲載された1回目のインタビュー、2016年11月号Myojoに掲載された2回目のインタビューの両方です。前々から読もうとは思っていたけど、度々聞こえてくる評判の中に荒れたやら炎上やら物騒な言葉が飛び交っていたので、横尾さんのことをきちんと知る覚悟を持ってから読もうと決めていましたが、先日のアリーナツアーでようやく覚悟が出来たので、満を持して読みました。

 

1度目の10000字インタビューは衝撃の連続

―以前から「僕のインタビューは、いつですか?」って、すごく気にしてたよね。
「話したかったことがあるんで」

冒頭から「えっ?なになに?」と思わせる横尾さんの回答。しかしその後、お兄さんとの話やJr.に入ったばかりの話等、悲しかった思い出が淡々と語られていく。そしてJr.時代に早いうちからユニットを組んで活動していた横尾さんがNEWSのデビューを目の当たりにした時のことを語る場面。

―NEWSが結成されたときは、どう思ったの?
「あのころバレーボールの大会に合わせて新しいグループがデビューしてたんで、“今度は誰だ?”って空気があって。K.K.Kityのメンバーは入るってウワサもあったんです」

―でも、横尾君は入らなかった。
「発表の1週間前くらいに、俺は結果を知ってたんですよね。小山から聞いてたんで」

 この箇所を読んでから、錦戸担時代の名残でたまたま手元にあったNEWSの1stDVD『NEWSニッポン0304』を見ました。NEWSのバックとしてダンスしたりローラーで滑ったりする横尾さんが映像として残っています。

そして今のキスマイの前身のグループができ、やがてKis-My-Ft2が出来た時の話。

―その後、Kis-My-Ft.のメンバーになったよね。
「藤ヶ谷とは前から仲がよかったんですよね。でも、他のメンバーは見下してました。“俺、ついこの前までK.K.Kityですよ”って。で、スタッフさんから、“NEWSのバックは絶対させない”って言われてたんです。でも、1年後にはバックだった。最近まで隣にいた人の後ろで踊る。結局、こういうことになるんだって。期待したり、夢見たりしても、簡単に壊れるんだって」

Kis-My-Ft2が結成されたときは、どう思った?
「藤ヶ谷以外は、マジで大っ嫌いでした。メンバー、仲間なんて意識じゃなかったです」

デビュー決定が決まった瞬間も、純粋に喜んではいなかった横尾さん。

―悩んでること、苦しんでること、全部わかってたんだろうね。
「そうですね。だけど、うれしさの次に、“これでいいの?この流れに乗って本当にいいの?”って想いも浮かんで。本当はメンバーに入っていなかったんだぞ。もう少しでNEWSのときといっしょだったんだぞって。あのときのことが、めちゃくちゃフラッシュバックしました。いいのか、俺、このまま列車に乗って。決めなきゃ、もう列車が動き出すぞって」

ずっとやめた方がいいのか続けた方がいいのか自分で決めることができずに来るところまで来てしまった横尾さんは、結果としてこの後もKis-My-Ft2のメンバーとして列車に乗り続けることになる。

このように、ロングインタビューと言えどアイドル雑誌の数ページを占めるだけの記事で重い内容の話を告白してきた横尾さん。

―それが、最初に言った“話したかったこと”?
「はい。言いたいこと言って、自分だけラクになろうとしてるだけって映る人もいると思います。でも、この後悔を、俺はずっと背負って生きていこうと思います。ファンの方に、メンバーに、一度、ちゃんと話さなきゃって思ってました。全部話して“ゴメンなさい”って謝罪してから、初めて踏み出せる一歩がある気がして。このインタビューをよんでも、わだかまりが消えないメンバーもいると思う。ショックを受けるファンもいると思います。こんな気持ちのヤツを応援してたのかって。途中で去っていった人もいると思う。本当に申し訳ないことしたなって。こんな謝罪で、過去を消せるはずない。それでも、ゴメンって伝えたかったんです」

終始批判されてもおかしくない話をした横尾さんに対し、『裸の時代』の第2回キスマイ飯会で兄組の2人が話していた言葉があたたかくて優しい。

北山「横尾さんは、つくづく不器用すぎなんだっつーの。でも、まあいいんじゃん。すっきりしたっしょ。」

藤ヶ谷「(中略)それにしても、渉は自分を言葉で表すの下手すぎ。あと、俺のこと語りすぎ(笑)。相談があると、いつも電話がかかってくるし。すげーめんどくさい。」

この言葉を聞いた横尾さんが、少しでも「あの時話してよかった」と救いに似た気持ちを持ってくれていたらと願わずにはいられませんでした。

 

約3年半後、2度目の10000字インタビュー

月日は流れ2016年。Myojo連載至上、最高クラスの反響だったという前回の横尾さんのインタビュー(Myojo掲載は2013年5月号)の話題から始まります。

―ファンからの反応もかなりあったんじゃない?
「隠さず言っちゃいますけど、すごかったっす、手紙とか。“裏切り者”、“ファンやめます”、“ジャニーズなめんな”的なことがほとんどで。“私も変わってみようと思いました”って内容の手紙が少しだけですけどありました」

―前回の発言、後悔してる?
「正直、離れていった人も多いと思うんです。ただ、その覚悟もあって。取り戻せるようにがんばろうって決めたから話したんで。ありがたいことに、今キスマイはお仕事をたくさんいただいているので、一生懸命やっている姿を見せて、少しでも戻ってきてもらえたらと。もちろん、これから僕がやらなければいけないことは多いですし、お返しもまだまだできていないですけど。でも、後悔はないです」

腹を決めて過去を語った前回のインタビューからも伺えるように、「デビューからいちばん変わったのは横尾さんじゃないか」と複数のメンバーから評価されている横尾さん。自分の歌やダンス、トークの出来なさを自覚しながらも、周囲から求められるしっかり者キャラとの解離に苦しんでいた横尾さんが変わったきっかけについての話に。

―(かつてコンプレックスの塊だったはず)なのに変われたのは?
「中居さんのひとことですよね。中居さんが番組で、歌がヘタな僕を“師匠”って呼んでくれた。あの瞬間、あのひとことで、僕は変わった」

―たったひとことで?
「はい。それまでの、しっかりしていたお母さんキャラから、何もできないポンコツなキャラにパンッて変われた。頑なに守りつづけていた殻が割れたんですよね。“もう虚勢を張らなくていいんだ”って。師匠と呼ばれた瞬間に」

 

自分なりに調べた結果、上記ツイートの結論に至り当時の映像を見てみました。流れとしては、二階堂さんが歌唱中に音をハズし気味だった理由を自分の前に歌っていた横尾さんにつられたからだと言い始め、他の出演者からも「横尾さんだぁ」という空気が流れる中での中居さんの発言でした。

「師匠は師匠でも師匠の中では(それなりに歌えていた)!」

すると横尾さんもその流れに便乗。

「師匠は、元気と勇気と自信で元気満々に歌ってたから!」

即座に一人称を「師匠」と言った横尾さんを見て、こんな風にすぐさま一人称を変えてしまう人だっけ?と思いました(もしそうだったらごめんなさい)。映像として残ったこの瞬間かどうかまでは本人だけが知ることだけど、間違いなくここが吹っ切れるきっかけになったんだろうと思わせてくれる映像でした。

そして話は動物や料理についてのことやメンバーについてのことへと移り、最後に今後の自分やグループについての話に。

―なるほど。そんな横尾くんにとって、Kis-My-Ft2って何?
「操り人形かな」

―待った、待った!最後にどんな爆弾!?今回は炎上させたくないよ…。
「たぶん大丈夫。いまはまだ操り人形だけど、この先人間になれるかの境ってことで。わかんないかなあ?」

―わかんないよ。その説明、不安しかない。
「なんていうか、デビュー5年目の今って、新人のままでいるか、その先のステージに行けるかのわかれ目だと思ってて。僕らの積み重ねてきたものや、結果が、いよいよ判断される時期だと思う。(中略)ただ、スタッフさんろの打ち合わせで、すべて“イエス”と答えるんじゃなくて、生意気に映るかもしれないけど、ちゃんと自己主張しなければいけない時期がきてるんだと思うんですよね。(中略)自分たちの意思を持って、発信して、自分たちのカラーを自分たちで打ち出す。操縦桿を、メンバー自身が握る」

最後の最後にインタビュアーをはらはらさせる横尾さん。やはり前回インタビューと変わらず、不器用でいまいち表現が上手くない横尾渉は健在。でも心なしか、前回よりも不安定さが薄れ、もう少しこの人がどうなっていくのかを見ていこう、信用してみようと思えるインタビューだった。

おわりに

きっかけさえあれば、チャンスを逃さなければ、いつだって人は変わることができるのだと、2度のインタビューを通して横尾さんは教えてくれている。けして身近ではない世界の人なのに、どこか弱い自分を投影したくなる横尾さんの人柄は、きっと誰かを救ってくれると信じてるし、事実自分が落ちた時に救われている。ここで何を言っても無駄だけど、もっと自信を持って前を見てほしい。どんなに強い風が吹いても堂々としている姿をファンは見たいと願っているはずだから。