ごねんぶりにどめの

時代を嘆くなって、言ったじゃないか!

グレースーツに隠れた逞しい体躯に惚れるがいい―『舞祭組村のわっと!驚く!第1笑』―

 

2018年1月11日、舞祭組として初めてのコンサートツアーである『舞祭組村のわっと!驚く!第1笑』大阪公演に行ってきた。

公演の内容等はこちらのnoteにまとめたのでここでは割愛し、初めて公演を見た時点での個人的な感想を書きたいと思う。

(※セトリや衣装、演出等のネタバレは避けますが、パンフレットの内容や曲について一部触れるので、知りたくない方はこれ以上先に進まないことを推奨します。)

 

 

 

 

 

コンサート前、わたしの頭には内容についての様々な疑問や不安が代わる代わる湧いていた。持ち歌は12月発売のアルバム収録曲が全てだけど公演時間はどうなるのか、少ない曲数でセトリはどうするのか、舞祭組名義以外の曲も構成に入るのか、1日3公演もやって体力はもつのか、等々。大丈夫かなという不安と、大丈夫だろうという期待がない交ぜになっていたように思う。
(※繰り返しになりますがセトリや公演時間についてはここでは書きません。)

不安も抱えつつ、そうして脳内を巡っていた色んな疑問の答え合わせが出来ることにわくわくしながらコンサートに臨んだ。

終演後に改めて公演中の自分を俯瞰すると、始めは不安まじりの姿勢で臨んでいた自分は公演が進むにつれ影を潜め、最後の方では頼もしい4人の姿に休む間もなくどきどきさせられている自分がいた。感情が忙しいとはこれのことか、といった風だった。

 

コンプレックスを乗り越え舞祭組最強の兵器へと変化を遂げた、横尾渉
みんなの平穏を保ってくれるリーダー、宮田俊哉
舞祭組や中居さんへの想いが誰よりも強いアツい男、二階堂高嗣
多才な舞祭組イチのアーティスト、千賀健永。

グッズのパンフレット内でメンバー一人一人について各人が話している箇所から言葉を抜粋しメンバー4人を言い表してみると、時間を経て舞祭組内での役割分担が確立されてきたように思う。目立たなくて必死にがちゃがちゃしている集団ではなく、己の役割を理解した上で仕事をし支え合っている4人が作り上げたチーム。それが今の舞祭組であり、地に足の着いたどっしりして頼もしい印象を受けた理由はそこにあると思っている。

 

舞祭組がパフォーマンスをする上で、おそらく“一生懸命”が重要なテーマの一つとなっていて(パンフレットを読むとそう思う)、実際結成当初から「一生懸命物事に取り組むこと」に対する価値は持ち合わせていたと思う。

しかし今の舞祭組は、「一生懸命取り組むこと」そのものに付いてくる価値の先にある、「演出として優れたものを生み出すことができる」という価値を獲得している(キスマイでずっとやってきているので当然ではあるが、舞祭組として見せられると新鮮に感じる)。純粋にパフォーマンスに対して興奮したり感動したりする気持ちが、終演に向かう中でどんどん強まっていったので、おそらく間違いない。

 

横尾担なので横尾さん個人についての話をすると、『道しるべ』落ちサビのソロで驚くほど堂々と歌っていて、道しるべ合宿で歌うのを嫌がっていた横尾さんは何処へ……?と良い意味で拍子抜けした。

よくよく考えてみると、公演全体を振り返ってみても『道しるべ』が自分の中でとりわけ印象的だっただけで、見ていて不安になるような様子で歌ったり踊ったりしている横尾さんは存在しなかったように思う。5月にキスマイのコンサートで見た時はもっとふにゃっとして危なっかしく感じられることもあった気がするのに、横尾さんってこんな風にステージに立つ人だったっけ、?と、別人を見ている気分にすらなった。

顔とか表情とかは勿論だけど、立ち振る舞いが凛々しくて自信ありげでとにかく格好よかった。「もっと自信を持て」とこちらが叫ばなくても安心して見ていられる(それはそれで少しさびしい気持ちもあるが)、正真正銘のアイドルだった。

 

これからコンサートに行く人は、不安に思うことなんて本当は何一つないけど、我が子を見守るような不安と期待半々くらいの思いで行った方がいっそ楽しいかもしれない。不安を払拭されるどころか、想像の範囲内でしていた期待すら良い意味で裏切られることが、このコンサートでは確約されているからだ。はっとするような、胸に風がひゅっと吹き抜けるような気持ちを、公演中のどこかで味わえると思う。(ハードルを上げまくっているけどそこまで響かなかったらすみません。)

 あと個人的な考えとしては、一生懸命な舞祭組に負けないくらい全力で村祭りを楽しむ気持ちを第一に持つことが大事かな、と。1日3公演の日もある本人たちに活力で負けているようではいけない……(3公演通して入る人も中にはいるかもしれないけど)。

 

このツアーに関わる全ての人たちに最後まで何事も起こることなく、無事にツアーを終えられますように。まずは大阪公演、お疲れ様でした。

 

 

「好き」ぐらいしか晒せるものがないから「好き」と言う

 

「好き」がめんどくさい。「好き」がつらい。

ジャニオタをやっているとそう思うことがままある。好きと思ったものを、好きでいるだけなのに。

 

めんどくささやつらさの原因は、他人との意見の相違であることが多い。

同じ物事を見ても、それを受けて考えることは人それぞれ違う。似ていることはあっても、完全に同じことはなかなかないと思う。たとえば最近のKis-My-Ft2まわりのことで言えば、昨晩放送の『逃走中』に出演した宮田さんのやや安定志向すぎる振る舞いに対する評価もそうだったし、『プレバト』の横尾さんと千賀さんの順位を知った時の横尾担の受け止め方も様々だったように思う。

でもそれは当たり前のことで、皆なんとなくは知っているはずなのだ。それなのに他人との違いを突き付けられてはじめて、悲しみを覚えている自分の存在に気付くことがある。

それは無意識のうちに、他人が自分と同じ考えの持ち主であることを期待してしまっているからだと思う。理解や共感を得られたという実感が欲しい、仲間と出会えた喜びを味わいたい、味方はひとりでも多い方が嬉しい。そういった欲求が底の方で静かに流れ続けているから。

 

ただ「好き」でいるだけでおもしろく思えないことがこの世に存在するのに、何故それでも「好き」を表明してしまうのか、「好き」について語ってしまうのか。考え続けても答えの出なさそうな問いだと分かってはいても、その解を欲している自分がいた。

そんな中、最果タヒ著『もぐ∞(もぐのむげんだいじょう)』に書かれていた一節と出会った。

誰かと、自分が共有できることなんて本当に少なくて、むしろたぶんほとんどなくて、だから共有とか共感なんて期待しちゃいけないのだけれど、じゃあ、共感されなくても、たとえ否定されたとしても、それでもいいと思える気持ち、そんな場所に晒せる感情なんて「好き」ぐらいだということも、わかってしまった。好きなものを話すことは自分を語ることにはならないのだけれど、でもそれぐらいしか、他人に晒せることってないのだ。好きという気持ちになら、何を言われても、「まあそれはきみの意見だから」と思える気がしていた(現実は違うかもしれない)。

―『グラタンへの愚鈍な好意』より

 

この文章を読んで、仮に自分だけのものだと知ってしまってもどうにかなりそうな感情、それが「好き」なんだと思った。

「好き」は強力な感情だ。強いから、ちょっとやそっとのことじゃ折れないし(折れないせいで時に争いの種にもなる)、誰かと同じじゃなくても別にいいやと諦めがつく。だから外にほっぽり出して外気に当てられても、基本的にはへっちゃらなのだ。

しかし引用最後の(現実は違うかもしれない)に込められているように、日の下に晒されてみたら存外に傷ついてしまうこともあるかもしれない。それでも「好き」を人目に晒したくなってしまうのは、誰かの理解を求める以前の問題として、内に留めておくにはあまりにも強すぎる感情だからかもしれない。自分の中に溜め込んではじけてしまわないうちに、さっさと外に出してしまいたい。その後誰に見つかってどうなるかは二の次。

 

それほどまでに強い気持ちが運よくどこかで誰かのものと交じり、手を取り合うことができたなら、本来わたしがあなたになれない限りわたしたちは絶対に分かり合えないはずなのに、それってとても幸運なことではないでしょうか。

(最後に余談ですが、昨晩の『逃走中』を見たジャニーズwebに登録されている皆さんは、本日更新のKis-My-Ft2連載の宮田さんのページを是非ご覧ください。後輩を素直に褒めるいい先輩です。)

 

 

 

もぐ∞(もぐのむげんだいじょう)

もぐ∞(もぐのむげんだいじょう)

 

 

 

冬の俳句タイトル戦『冬麗戦』が生んだ物語性の話

 

年明け最初のブログは、1月4日放送『プレバト才能ランキング』のことを書きたいと思う。

波乱の展開の結末

冬の名人・特待生俳句タイトル戦である冬麗戦に、これまで春から季節ごとに行われてきたタイトル戦と同様、Kis-My-Ft2から横尾渉と千賀健永の両者が参戦した。

横尾さんは名人2段、千賀さんは特待生2級と、横尾さんの方が実力としては上の位置についている。実際これまでのタイトル戦でも千賀さんが横尾さんを超えることはなく、また、両者ともに一位を取ったことはなかった。*1

そして迎えた冬のタイトル戦。そこで驚きの展開が待っていた。千賀さんが初めて横尾さんの順位を超え、しかもタイトル戦を制し一位の座についてしまったのである。

視聴者として結果を知った我々ファンは大いに驚かされたが(予告で流れていた千賀さんの涙から予想がついていた空気もなくはなかったが)、いちばん驚いたのは、おそらく結果を聞いた瞬間に喜びのあまり涙を堪えきれなかった千賀さんと、そのすぐ傍で肩を落とし落胆の表情を見せていた横尾さんだったと思う。

しかし二人の句を見てみると、俳句に全く明るくない自分から見ても、千賀さんの句の解説で出てきた星空の下にそびえ立つ葉のない大樹の写真は、千賀さんの句のために用意された写真かというくらい、句から受けた印象とぴたりと合っていた。これは横尾さんの句が負けてしまっても仕方ないと、納得せざるを得なかった。絵画的で壮大でロマンチックで、千賀さんのイメージにも似ているような俳句だったと思う。心の底から美しいと感じた。

敗者の顔

千賀さんに負け、全体の順位としても8人中7位という今までのタイトル戦で最も低い順位となってしまった横尾さん。

前述した結果発表の瞬間の落胆ぶりは、飛び跳ねたり涙ぐんだりしながら喜ぶ千賀さんの存在によって一層際立って見えた。夏井先生による解説が始まってからもどこか不服そうな顔をしていた。

しかし自身の句が添削されるやいなや合点のいった表情に変わり、また時折自身の勉強不足も噛み締めているようで、知識欲や高いプライド、自省の心など横尾さんの様々な性質がわずかな時間の中で表出したように見えた。普段グループで仕事をしている時には見られないような、感情を静かにむき出しにした面持ちから、俳句に対する気持ちの入れ込み具合も伝わってきた。

対等な好敵手の登場

もちろん、横尾さんに一位を取ってほしかった気持ちがなかったわけではない。しかし今回の一件で、これまで横尾さんの独壇場だと思われてきていた俳句の舞台に、千賀さんが堂々と乗り込んできたことに、不覚にもどきっとさせられた。

あまりにも物語性がありすぎる、と思った。

横尾さんの物語はこれまでを振り返ってみると、一度落ちてからが本番、という様相を呈していたことが多かったように思う。最近で言うと一級マグロ解体師資格取得までの道のりがそうだった。むしろ我々ファンからでも見えるような壁のぶつかり方をここまでしているジャニーズのアイドルって実はあまりいないのでは、とすら思う。

だから、同じグループに属する千賀さんが下剋上を成し遂げ立ちはだかってきたことも、今まで俳句の道を順調に歩んできた横尾さん(もちろん見えないところで努力はしていると思っているが)に何らかの価値を与えてくれると信じている。明らかな“負け”という感情を抱くことが、今後の肥やしとなることを願う。

 

 

千賀さん、タイトル戦一位おめでとうございました。冬晴れのあたたかくてうららかな様子を表す『冬麗』という言葉が、千賀さんのふりそそぐ光のような笑顔にぴったりだと思いました。

そして今回は悔しい結果に終わってしまったけど、次こそ横尾さんがタイトル戦の頂点に君臨することを信じ、その時が来たら全力で褒めてあげられるように心の準備をしておきたい。他人に期待を持たせられるということは、それだけの実力があることの裏付けに他ならないとわたしは思っている。

 

 

 

*1:春:横尾2位千賀3位、夏:横尾4位千賀5位、秋:横尾2位千賀3位